★人生に「遅すぎ」なんてない、61歳の挑戦が醒めた心に火をつけた!

人生に遅すぎなんてない
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何かをしようというときに、遅すぎるということはない。

 

朝9時半、インターネットで自分の番号を探した。
平成23年度行政書士試験の合格発表。
ちょっと浮足立っている。
ドキドキする。
見つけた!!
何の変哲もなく、 その番号はそこにあった。  

 

ホッとした。 あるとないとでは大違いである。
昨年11月、2回目の受験。
手ごたえはあるような、ないような…。
しかし『もう1回受けてみようとは思えないだろうな』と思った。
だから、これが「最後の機会」という感じがしていた。  

 

これほど精魂を傾けてきた”事業”が未完結では、 自分自身に対してどうにも『オトシマエ』がつかない。
生来なまけ者だが、人生でこれほど真面目に取り組んだ期間はなかった。
この2年間、意思を貫けたことは驚きだ。
別に難行苦行をやってきたわけではないから、続いて当然ではあるが、 あきっぽい自分の思いがけない粘り強さを発見して、勇気づけられた。
(「自分が自分に勇気づけられる」とは変な表現だが…、事実である)

 

■「お父さんもやりなよ」と娘が言った

すべては娘のこの一言からだった。
30歳を過ぎ親と同居、地元企業に通う気楽なOL、 その娘が急に、一心不乱に勉強し始めた。
行政書士の試験を受けるのだと言う。  

 

「お父さんもやりなよ。司法書士の方がもっと難しいよ」  

 

試験日が近づいていた2009年10月、娘が言った。
いつになく頑張りが続いている姿を連夜見ていて、何かを感じていた。
それで、「えっ? やってみるか・・・・」と即答した。

 

■さっぱり分からない、だから本気になった

法律については、右も左も分からない。
なのに、翌日買ってきたのは「過去問集」だった。
それもDVD付き、東京リーガルマインド(LEC)の問題集だ。
16万円もした! 早とちりもいいところだった。
試しに、勘で解いてみた。
問題を読んで驚いた。
意味さえ分からない・・・・。
10問が10問とも外れた!  

 

『まあ、いい』 当然じゃないか。
『しかし、これはまいったぞ…』
とんでもない世界に迷い込んだらしい。
怖気づきそうだった。
『でも、16万円だぜ!』
すごすご引き返すわけにはいかない…。  

 

だからだろうか、スイッチが入った。
無駄はしたくない。
そこで「数字」へのこだわりを捨てた。
小遣い帳、万歩計、ゴルフのスコア・・・・。
それどこじゃないのだ!  

 

テレビを見ることをやめた。
週に1番組のみ、1時間だけ観ることを許した。
同時に、読書の楽しみも捨てた。
法律に関係する本以外は、一切読まないことにした。
ストイックなわけではない、時間を捻出したかったのだ。

 

■模試を受け「現実」を知り、激しく動揺

なにしろ司法書士試験は10科目もある。
民法、商法、憲法、刑法、民事訴訟法、民事執行法、民事保全法、不動産登記法、商業登記法、供託法。
これに記述式の試験が加わる。  

 

これを1年(実質9ヶ月)で合格しようと思ったのだから、自己過信がすぎた。
テキストを順次買い増ししたが、どの科目でもつまづいた。
読むのがつらい。
用語の意味さえ分からない。
独学だから、聞く人もいない。  

 

それでも、今から思えば「インプット」は楽だった。
覚えればいいのだから(覚えてもすぐ忘れるが)。
テキストを一巡し、過去問(アウトプット)に向かった途端、また挫折だ。
一通り読んだ程度の知識では、手も足も出ない! 非力を通り越すと、腹が立ってくる。
だからアウトプットをすると、いつもひどく疲れた。

 

 自信満々とは言わないけれど、これまでの人生、 これほどまでに自分を否定される経験はしたことがない。
それでも格闘を続け、翌年5月には全国模試を受けてみた。
惨敗!! 
択一式全70問中、「正解」の確信はついに1問もなかった。  

 

ここまで平日4時間、日祭祝日10時間、 月間170時間×7ヶ月=1190時間余も費やしてきたのだ。
情けないのを通り越し、パニックに陥った。  

 

■「行政書士」に志望変更、しかし尾を引くショック

狼狽した。
受験予備校の模試だから、「慣れていないせいだ」と言えなくもない。
いくらそう慰めても、実力不足は明らかである。
能天気に「1発合格」を夢見てきた自分がバカに見えた。

 

同時に、怖くもなってきた。
『1年どころか、2年目、3年目でも難しいのではないか・・・・』
10教科もあると、1教科やり終え次の教科に向かうと、 覚えた頃には前の教科を忘れている。
まるで賽(さい)の河原の石積みだ。
ゼロから挑むにしては、ハードルが高すぎた。  

 

それで、志望を娘と同じ「行政書士」に切り替えた。
娘は超人的な要領を発揮して、4ヶ月で1発合格していた。
今ではそれがいかに「奇跡的」な幸運であったかが分かる。
行政書士の試験もまた、「6割で合格」のラインを超すことは至難である。  

 

しかしその時は、ワラにもすがりたかった。
59歳で勉強を始め、60歳になってしまった。
遅咲きは覚悟の上だが、3年も4年も成果なく受験生をやるのは辛い。
喉から手が出るほど「具体的な成果」がほしかった。
それで、目標を行政書士試験に切り替えた。  

 

5月半ばから11月中旬の試験まで半年間もあったのに、 模試で見せつけられた現実が当時の実力だったのだろう。
淡い期待感をよそに、あえなく敗退となった。

 

■受験生2年目は「激動の年」になった

不合格通知を手にした昨年1月末、当然のように再挑戦を決めた。
ところが昨年は、公私とも激動の年となってしまった。
誤算の第一は、3月に新聞から放送に転籍となったこと。
すでに嘱託の身、放送局の現場でゼロからの再スタートだ。

 

しかも異動直後の4月、「ツイッターイベント」を主宰するという間の悪さ。
その間、3月11日には東北の震災・津波、原発事故が発生した。  

 

1月から4月まで、完全に勉強を放棄した。
不合格のショックを引きずっていたのだと思う。
60歳を超えているからと言って、特段のハンディーは感じないが、 1つだけ教訓として思うのは、 「甘い見通しで、挫折してはならない」と言うことだ。
本人が考えている以上に、精神的なダメージが残る。

 

■長い下り坂に歯止めは掛けられるのか

僕は54歳で地方紙の編集局長になった。
同時に朝刊1面の「コラム」も担当。
2年半後、職場が変わり、以後は長い下り勾配を歩き続ける・・・・。  

 

本人はへこたれてはいなかったが、たぶんそれは負け惜しみなのだろう。
なぜ娘の一言に反応したかと言えば、 『俺の価値は俺が決める』との思いがあったからだと思う。  
新聞社で地位が上がっていくにつれ、自分の奔放さが消えていった。
出世を気にするから、人に気を使うようになる。
そして、絶えず人の評価を気にするようになった。  

 

いつの間にか、いかにもサラリーマン的な価値観に漬かっていた。
思いっきり足を払われて、当たり前の現実に気がついた。
もはや会社で好き放題ができない、ということ。
やりたいことはすべて実現させてきたのに、今は何もできない・・・・。  

 

期待されていないということは、心が冷める。
どこか深いところで、自分が感じる以上に傷ついている。
今さら『なにくそっ!』などとは思わない。
ただ、『俺は俺だ・・・・』

 

■支えられて生きてきた・・・・、歌が気づかせてくれた

ある日、車の中で「ゆず」の歌を聴いた。
「栄光の架け橋」

 

ゆず栄光の架け橋

車中でこの歌を聴いて涙した

 

誰にも見せない泪があった 人知れず流した泪があった 決して平らな道ではなかった けれど確かに歩んで来た道だ  あの時想い描いた夢の途中に今も  何度も何度もあきらめかけた 夢の途中

 

アテネ五輪当時、毎日のように聴いていて何も感じなかったのに。  ……………………

想い出せばこうしてたくさんの支えの中で歩いて来た

このフレーズを聴いて胸にグッと来た。
なぜか涙がわいてきた。
妻のことを思った。

 

『そう言えば、何も言わなかったな、あのころ・・・・』  
何も変わらない日々だった。
子どもたちも三人三様、私の突然の異動に触れる者はいなかった。

 

『そういう支え方があったのだな・・・・』
歌から直接に伝わってきた何かを、言葉として伝えようがない。

 

家族からのメッセージ

60歳になった私に家族からメッセージが。祝いの品よりうれしい1人ひとりの言葉だった

 

 

■新しい職場、戸惑いながらガンバった

今年はまいった。
新しい職場がやはりストレスだった。
仕事を知らない、人も知らない、段取りが分からない、機械も苦手・・・・。
だからすべてに自分用のマニュアルをつくって、何とか切り抜けた。  

 

先日、2月いっぱいで退社することを会社に告げた。
意外な顔をされた。そして、引き止めてくれた。
うれしかった。
戸惑いながら右往左往していた初めの3ヶ月、どうなることやらと思いながら、
『辞めるときに引き止められるくらいの仕事はしなくちゃな…』
と、あえて自分にプレッシャーをかけきた。
一応”戦力”と認められているらしい。

 

それはささやかな”勲章”だ!
 

■競争相手は自分自身だから気持ちがいい

法律の勉強を始めて何が変わったかと言えば、人間を取り戻したことだ。
僕は、どんな境遇になっても生きていける。
強いと思う。
が、同時に弱い人間でもある。  

 

『俺は俺』と言いながら、実は人の視線を気にしないわけではない。
生きていくことはできる、しかし、心の中はざわついている。
そのざわつきに打ちのめされないためには、知らぬふりをするしかない。
「仮面」をかぶっているうち、いつしか僕はやはり自分らしさを失っていた。  

 

そういうとき、「国家試験」という目標を持った。
評価は明確だ。 水準に達しているかいないか。
きっちり点数が出る、人の思いなど関係ない。  

 

はじめのうち、まだそんな雑念が頭の中にあった。
だが、とんでもない世界だった、法律の専門家を目指すということは。
人にどう思われるかなど、気にしている暇はない。
足の先から頭のテッペンまで、そして脳内を、完全に”法律漬け”にしなければ、 とてもあの稜線は越えられない!  

 

「挑戦のしがいがある」と言えば強がりで、何遍投げ出したくなったか知れない。
しかし行政書士の試験には、1つだけ利点があった。
それは「合格点は60%」であると言うこと。
そこに到達すれば合格だ。
つまり人と競わなければならないわけではない。
競争相手は自分。
自分が力をつけさえすればいいのだ。  

 

勉強は、やれば身に付いてくる。
あれほど分からなかったテキストも、分かる部分が増えてきた。
1回目よりは2回目。
苦手だった民法(でも、一番おもしろい!)も、全条文を3回読んだころには、 勘でなく、法律的思考で考えるようになってきている。  

 

■「一歩踏み出し」てこそ見えてくるものがある

まだ「何も」つかんだわけではない。
ただの「挑戦者」が、1つだけ自分のテーマを達成したにすぎない。
しかし、このことが心に与える作用は大きい。  

 

たまたま成功裏に終わったから言うのではない。
僕にとって、最も大きかったのは「一歩踏み出した」ことだった。
定年を1年後に控えていたのに、何の準備もしていなかった。
家に帰ればテレビドラマを観、好きな本を読む。
そんな生活を脱却しようとも思っていなかった。  

 

勉強を始めてから、何もかもが変わった。
習慣を変え、真剣に打ち込むことで、少しずつ内部から変わっていった。
身に付いたのは知識以上のものだったと思う。
忘れかけていた「意欲」、 内側から燃えてくる「勢い」みたいなもの、 そんなものが確実に蓄積されていったのだ。  

 

長いこと僕は死んだふりをしていた。
『これは死んだふり、本当の自分じゃない』
そう思うことで、これ以上傷つくことを避けていた。

 

人にも会わなかった。  
ある時期、それは必要だったと思う。
だから壊れないで済んだ、とも言える。
「ふり」のおかげで、自己否定しないで済んだ。
考えないでいるうちに”受験勉強”に出合ったから一心不乱に打ち込み、 ついに自分のことを考える暇なく、ここまで来ることができた。  

 

■ジャーナリスト魂を取り戻した

娘は、本当にちょうど良いときに声を掛けてくれたものだ。
これ以上“隠居”を決め込んでいれば、 「ふり」のつもりが本当に “終わって“しまったことだろう。  

 

編集局長転落以降、僕はツイッターの巨人になった。
facebookでもそれなりの“場“を確保しつつある。
出版することの楽しさも思い出した。
何より、自分の心根はまさにジャーナリズムにあることに気づいた。  

 

もう大丈夫。
定年後、やることのないオヤジに僕はならない。

 

3月には、地元静岡で出版社を立ち上げる。
自社企画の本をつくる。
それ以上に、自費出版の本づくりの強力な助っ人になる。

 

合わせて僕はジャーナリストだ。
人の人生のことを書くし、テーマを決めてそれにもかかわり続ける。  

 

夏には行政書士事務所も開きたい。
人の思いがどろどろする「相続の分野」こそが、“人間専門家” の僕の出番だ。
税理士とは全く違う観点から、良い相続をするお手伝いができるだろう。  

 

さらに、寝たきりの母の介護。
書道で忙しい妻の事務の手伝いと運転手役。
これらもやるつもりだから「5役」になる。  
これからも忙しく働く、と言うのが当面の目標だ。

 

■やり切ってから笑おう!

2012年1月31日のブログを再掲載した。
前日、私は61歳11ヶ月目にして行政書士試験に合格している。
いま読んでも、プレッシャーから解放された安堵感が伝わってくる。
試験は前年11月に実施しているから、 合格点に達しているであろうことは早くから承知していた。  

 

だからこそ、歓びというより、安堵なのだが・・・・。

 

振り返ると火事場の馬鹿力のようでもある。
本気で勉強した。
ゆずの歌に思わず泣いてしまうなんて。
よほどのやせ我慢だったろうと、今にして思う。  

 

乗り越えなければ、こんなことは書けない。
それだけが2年間を支えたモチベーションだったかもしれない。  

 

何かに挑戦する人に。
遅すぎるということはない!
挑戦して無駄なことも1つもない!
あきらめていい理由も、たぶんないだろう!
気持ち1つだ!
言い訳は封印しよう。

 

やり切って笑った方が気持ちがいい。

 

※この記事の元になったブログは、2012年2月1日「アメブロ」に発表しました。

 

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★独学、61歳受験生が行政書士試験に合格する法① 模試受けず過去問徹底

★独学、61歳受験生が行政書士試験に合格する法② 悪条件に慣れる!

 

相続対策の総合プロデューサー 石川秀樹ジャーナリスト行政書士)>

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ABOUTこの記事をかいた人

遺言、相続対策と家族信託の専門家です。特に最近は家族や事業を守るための民事信託への関心を強めています。遺言書や成年後見といった「民法」の法律体系の下では解決できない事案を、信託を使えば答えを導き出すことができるからです。 40年間、ジャーナリストでした。去る人、承継する人の想いがよりよくかみ合うようにお手伝いしていきます。