★病院よ、医者を見ずに患者をみてよ! 「診断書」遅延でわかった医療機関の体質

お医者さまでなく患者を見てよ!
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90際の父が脳梗塞になって、病院やリハビリ、介護施設と、いろいろつきあいが多くなった。
どこも一所懸命やってくれ、それはとてもありがたいのだが・・・・・。
初めて患者家族になってみると、100点満点でない部分がどうしても見えてくる。
<病院さん、医者にピリピリ気を使わないで患者の方(家族も含む)を見てよ!>
診断書発行の遅れというささいな”事故”から見えてきたものをご報告する。

 

■簡略な「診断書」記述に1ヶ月

診断書」って、見たことがありますか?
病院から渡された封筒は封印され割り印まで打った厳重さだった。でも、
「こんなに待たされたのだから、さぞかしていねいに書かれているだろう」と好奇心を抑えきれず、開封してしまった。
こちらだ。

 

済生会病院の医師が打った診断書

病院の診断書。実になんとも事務的であっさりしている

 

あらためて『こんなものか』と思った。
いわゆる「医師の所見」などという手書きの部分は皆無。
パソコンで数字を入れ、病名を書き、必要個所に「✔」を入れれば足りる。
所要時間1、2分でできる作業ではないか。
これで「5400円」。
診療報酬で決まっているとはいえ、高い!

 

この病院に診断書をお願いしたのは2度目である。
今年1月3日、父が脳梗塞で倒れ、救急病院を経て静岡済生会総合病院に3週間入院した。
その時の請求が1回目。
このときは1か月近くたっても何の音沙汰もなかったので事務に電話した。

 

■医師をかばう病院事務方

以下、前回と今回の病院事務員とのやりとりを紹介するつもりだが、なぜそんなものを書くかというと───
「怒り」のためではない。
いかにも今の”病院らしい光景”がここに見えている気がするからである。

 

1回目、私が電話で怒りをにじませながら医師の怠慢を叱ると、
「お医者様からはもらっています」と事務員は言う。
・・・・・それがなぜこんなにも滞るのだろうか。
「申し訳ありません。事務方のミスでチェックが遅れています」
あり得ない話。
医師をかばっているのだなと思ったが、その時は矛(ほこ)を収めた。

 

2度目の診断書を病院側にお願いしたのは8月25日である。
父はリハビリ病院で順調に回復訓練を受けていたのだが、2月中旬、自分の唾(つば)を飲み込み損なねて誤嚥(ごえん)し肺炎を起こした。
それで静岡済生会病院に再び運び込まれ入院することになった。
だから今回はずいぶん時間がたってからの依頼である。
かんぽ生命がわざわざ「2度目の入院でも費用を請求できますよ」と知らせてくれたので診断書を請求したわけで、すごく急いでいるというわけではない。

 

前回のことがあるので『どうせ遅いだろう』とは思っていたが、丸3週間たったのにまだ連絡がない。
「5、6日であがる」と言っていたのに今回も・・・・。
前回は<医師に問題がある>と思っていた。
しかし今回は担当医師も違う。
医師個人の問題というより、診断書を頼まれ最終的に患者に渡されるまでの処理ルールが確立されていないという「システム上の問題」?
そう思えてきたので再び電話した────

 

■怠慢なのは医師ではなく「秘書課」⁈

診断書をお願いして丸3週間たつが、まだできないの?」
「申し訳ありません。いましばらくお待ちを」と事務員。
「医者がまだ書いてないのかね。甘やかしすぎだぞ」
「申し訳ありません。お医者様は書いてくださっています」
「今度はどこで止まっているの?」

 

前回は「事務方のミス」というわけのわからない言い訳だったが、今度はどう説明するのか。
「お医者様からは来ていますがチェックの部署で止まっていて・・・・」
同じ言い訳。そう言うようにここは”ルール化”しているのだろう。
だから突っ込んで聞いた。
「どこがチェックしているの?」
「えーっと・・・・・」
「医者が書いてないんだろう? 甘やかすな。かばわなくていい!」
「来ています。・・・・秘書課で止まって」
秘書課という名前が飛び出した。この人はウソに慣れていない。
「秘書課ねぇ。秘書課で何をチェックするの?」
「お医者様に折り返し問い合わせする箇所がないかどうか・・・・」

 

しどろもどろだなぁ。
そんないらぬチェックのために2週間も3週間も? 
”お医者さま”をここまでかばっている事務方が、患者(家族)に成り代わって、お忙しくて仕方がないお医者さまに何を質問できるというのだろう。
お医者さまが書いた診断書に誰がけちをつけられるのか。
秘書課とは・・・・誰を秘書するのか?(秘書なら医師に何か言えそうではあるが)
気になってインターネットで静岡済生会の組織図を見た。

 

静岡済生会病院の組織図

静岡済生会病院の組織図(同病院ホームページから)

 

もちろん「秘書課」などなかった。
誰にも直接の迷惑が掛からぬよう、事務員は気を回したのだろう。

 

■医師に催促できない病院の体質とは

「あなたに怒ってもしょうがないから事務長に代わって」
それから受話器を耳に当てて5分(これは長く感じられた)
また先ほどの女性事務員の声で「30分後にはコチラ(窓口)に届きます」
ほっとしたようなやや弾んだ声で、診断書の行方の”最新情報”を伝えてくれた。

 

思わず「ご苦労さま」と声をかけてしまった。
「5分間」は彼女なりに奔走した時間なのではないか。
あるいは事務長(本人ではないにしても誰か)が事態の重大さにようやく重い腰を上げ、医師を急かしたのだろうか。
なにしろ私は先ほど、「(診断書がいつできるか)連絡をくれるのではなく、届けに来い」と言ったのだから。

 

事務方の内部で何が起きたのか定かではないが、問題の所在は明らかになったように思える。
その気になれば「30分で片が付く仕事」なのである。
その気にならなければ「3週間でも1ヶ月でも放置」。
その原因は、医師は忙しさにかまけて診断書をすぐには書かない、
ある日、まとめて書くか、それともさみだれ式に書いてそのうちのいくつかは忘れてしまうか。
いずれにしても、誰も「遅延」に気づかないし、気にも留めていない。
そして決定的なのは、誰か気に留めたとしても、医師に向かって催促できる権限というか「習慣」(ルーティーン)が確立していない、ということであろう。

 

こういう諸々をかばった事務職の彼女のかなしいウソを、この人のせいだとは少しも思わない。
これが今のところの”この病院流”なのだ。
医師の権威がとても高く、誰も医師をとがめることができないという流儀!

 

■これでは困るのだ!!!

患者家族として思うのは「コレでは困る!」である。
特に急いでもいない診断書のことだから、笑って「仕方ないなぁ」と思えばそれで済ませられる。
しかし私がこの病院に何度も通って思うことは、現場のスタッフはお医者さまを含めとてもよくやってくれるということ、その一方、スタッフ間の連絡・連携はあまりよくはないこと、そして医師がやや”裸の王様”に見えるということだ。

 

例えばコレ。

★延命したいなら「鼻からチューブ」。父が脳梗塞、家族は突然に最終決断を迫られる 

この記事で書いたのは、医師の「経鼻経管栄養法(鼻からチューブ)」の提案はいかにも不器用で、(患者家族である私から見ると)無礼でぶしつけににさえ思えたということ。
病室での立ち話で命の問題の重要判断を「即決せよ」と促したこともさることながら、病気や治療に関する情報開示が決定的に欠けていたし・・・・・。
いや、そのことより何より、この医師は、患者や患者家族が初めて「経管栄養」を医師からすすめられるときどのように感じるについて、想像力がまったく欠けている、ということだ?

 

患者本人や家族は
『えっ、いきなり延命⁈ そんなに悪い⁈ この世の終わりだ』
と感じられるんですよ、普通の人は。

 

この辺への医師の「想像力」の乏しさは個性によるものかもしれない。
少なくとも周囲のスタッフたちは、医師のその点の不器用さ、無理解については「問題あり」と感じていたようだった。
だが「お医者さま」という現場トップの権威者に対しては誰も何も言わず、医師に代わって患者のために何らかのフォローに回ろうという人も現れなかった。
無理もないと思う。

 

■誰も医師に文句を言えぬ日常

この病院では、お医者さまは大切にされている。そこは徹底している。
医師を頂点に、看護師→各種療法士→その他のスタッフといった疑似的なミニ階層。
医師は医療においてリーダーでなければならないから「階層」ができるのは当然だ。
しかしその結果、風通しは悪くなっている。

 

さらに看護師も療法士などスタッフたちも多忙で、医師に余計なことを言う暇などない。
言ったがために医師からにらまれれば、その小集団に居づらくもなる。
かくして医師を含めた現場のチームは、”病院の日常”に染まってしまう。

 

”病院の日常”は、ていねいに説明しないとお分かりいただけないかもしれない。
「病院での普通」(医療スタッフが持っている知識や技量、それに基づくプロとしての「病気」に対する思い)は、普通の生活者にとっては普通ではない──ということである。
病気は「病院の人」にとってはどれも普通なことでも、患者や家族にとっては”特異”な体験、”未知”の恐怖、”異常”な不運、時には”衝撃的”で耐え難い運命でもある。
こういうことに想像力を働かせられる人はマレである。

 

しかし、1人もいないのでは困る!!

 

■船の向かうべきは「患者」

病院事務の不手際からここまで言うのは不遜かもしれない。
しかし私には「一事が万事」と感じられる積み重ねがあった。
医師は小集団の中のトップリーダーである。
その人を尊重するのは正しい。

 

しかし「病院」という大きな船の中で、医師の権威を尊重するあまり医師に何も言えない”習慣”をつけてしまうと、船は必ず迷走してしまう。
船の進路はどこか。
患者ではないのか。

 

私はどこかの経営論者のように「”患者さま”と言え」とは少しも思わない。
患者は、多くの普通の人間たちだ。
申し訳ないが、医療スタッフたちのような豊富な知識をほとんど持っていないし、わがままなだけの人間だ。
知識もなく勉強もしないから、スタッフたちを悩ませることが多いと思う。
そのくせ自己主張が強く、居丈高に無理難題を言って不安を見えなくする人もいる。

 

言ってみれば多くの患者は、医療側から見れば”どうしようもない患者さま”たちなのである。
しかし最終的に医療従事者が見るべきは、私たち「患者」なのだと思う。
患者の困難を救うためにお医者さまを仰ぎ見るのはいい。
しかし無条件に、そして刷り込まれた習慣のように「医師はアンタッチャブルな存在」とはしないでほしい。

 

それは患者や、患者家族のためにならない。

 

ジャーナリスト石川秀樹相続対策の総合プロデューサー行政書士)>

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ABOUTこの記事をかいた人

遺言、相続対策と家族信託の専門家です。特に最近は家族や事業を守るための民事信託への関心を強めています。遺言書や成年後見といった「民法」の法律体系の下では解決できない事案を、信託を使えば答えを導き出すことができるからです。 40年間、ジャーナリストでした。去る人、承継する人の想いがよりよくかみ合うようにお手伝いしていきます。