★「鼻からチューブ」から父は生還。”今の自分”を生き切る姿に共感!

鼻からチューブのその後
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談話室から自室に戻り、父は車いすを窓辺に寄せた。
私の位置からは南幹線の車の往来が見え、その向こうにグランシップ(静岡県の大型コンベンション施設)が映っている。
聴き取りにくい声で「あれはグランシップか?」と聞く。
「そうだよ。いつもお父さんたちが会合をしていた所さ」

 

■『よくここまで来たな』と思う

「あれは谷津山?」
「そう。頂上に2つ鉄塔が見えるから、谷津山だよ。その向こうに”家(うち)”がある」
「・・・・・・・」
「帰りたいかね?」
父がうなずく。

 

ここ「池田の街」介護老人保健施設(老健)に入所してからちょうど1ヶ月。
今まで、父が外に興味を示すことなんてなかったなぁ、と思う。
「そのうちに、車いすでグランシップにまでだって、散歩できるよ」
「もう少しのみこみがよくなれば、好きな所で普通のものだって食べられるさ」
「1日、2日の外泊もできるんじゃないかな。お父さんの部屋にも戻れるよ。ベッドを用意しとかなければならないけど」

 

問わず語りに一方的にしゃべった。
父は聞いているのかいないのか、いまひとつ分からない態で聞いている。
『よくここまで来たな』と思う半面、『これからも大変だろうな』という思いがわく。
父はどこまで意識が清明なんだろうか・・・・・。

 

■正月3日、父が倒れる

意識清明であってほしいと思う。
今は父と子としての会話が曲がりなりにも成り立っている。
母とはもはや、それができない。
ベッドに寝たきりだし、食事は口から摂れず鼻からチューブを胃にまで入れて栄養剤を補給されている。
意識はない。
呼びかけても、こちらの名を言っても反応しない。
そうなってから3年たった。

 

母の緩慢な衰弱に比べ、父のそれは急だった。
正月3日に脳梗塞で倒れた。
ラクナ梗塞と言われるものだった。
脳の毛細血管に血栓が詰まる病気で、あまり重篤にはならないとされている。
しかし父は初期状態のときに我慢して人に告げず時がたってしまったらしく、家族が異変に気づいて病院に運んだ時にはひどくやられてしまっていた。
右半身がマヒし、嚥下(えんげ)障害が残った。
口の中のマヒのおかげで今、会話もままならない。

 

■5日目で「鼻からチューブ」を打診

発症から5日にして、医師から「鼻からチューブをして栄養を摂る方法」を勧められた。

★延命したいなら「鼻からチューブ」。父が脳梗塞、家族は突然に最終決断を迫られる!

私は不意を突かれてろうばいした。
母のことが頭をかすめる。
鼻からチューブだろ? おふくろの次はおやじだなんて⁉」
言ってもせんないことを妻にぶつけた。

 

医師はその提案を、病室で立ち話で伝えた。
それで私はムッとした。
「父にはまだ意思能力があるのだぜ!!」
私に聞くな、父に聞け、こんなに重要なことを当人を差し置いて患者家族に聞くな、と思ったのである。
<家族が断れるわけがないじゃないか>

 

答えはすぐに出ていた。
でもその日、私は返事をしなかった。
私自身が覚悟を決めなければいけないと思った。
父はたぶん、母と同じようになるだろう。
<あの父親だぜ。静岡県の書道界に君臨し、俺たち夫婦と同居していろいろあったがわがままを通しきってきた人。それがさぁ、鼻からチューブだなんて・・・・>

 

この踏ん切りつかない思いはなんだろう。
もやもやしながら数日過ぎ、返答しなければならない日、父がベッドから私にすがるような視線を送ってきた。
見た瞬間、「ああ、分かったから」と返した。
父は生きたいと思っている。
迷う必要なし。
鼻からチューブを断る理由はない。

 

■4か月余で「鼻からチューブ」を脱す

父はその病院を3週間で退院した。
経管栄養のままリハビリテーション病院へ。
右はほぼあきらめ体の左側の強化、言葉の回復訓練、同時に嚥下もいろいろ試す。
が24日後、誤嚥肺炎を起こし元の病院に緊急搬送。
一時、生命も危ぶまれたが、これまた24日後の3月15日、リハビリ病院に戻った。

 

父は1月中に90歳になった。
リハビリを嫌がるかと思ったが、熱心に取り組んだ。
私は”24日周期”が気になった。
次の24日目は4月8日。
これを難なく乗り切り、鼻からチューブを付けたまま口からの摂食をはじめ、5月に入るころにはおかゆ食を3食とも平らげるようになっていた。

 

こうして父は発症から4か月と数日で「鼻からチューブ」から完全に脱した。
父は母のようにはならなかった。

 

■「延命」のことを考えた

この間、私は「延命」というテーマについて深く考えるようになった。
以前は、一刀両断だった。
延命」を望むなぞ潔くない、無駄な延命は望まない!
イメージしていたのは病の終末期における延命である。
だから「尊厳死宣言」的な考え方にも共感した。

 

考えが少し変わったのは、母の終末期をみるようになってからである。
母はまだ「生」から解放されていない。
母の生き方からして、現在の状況はまったく望んでいなかった未来に違いない。
なんと言ったらいいか、早くこの桎梏(しっこく)から解き放してあげたい。

 

鼻からチューブをやめて点滴に換えてください」
「自然に最期を迎えられるように徐々に栄養を減らしてください」
簡単に言えるような気がするが、
子として言ってはならない言葉だ、という思いがあって言えないでいる。

 

■経管栄養を断るのは難しい

父の驚異的な回復ぶりには脱帽するほかない。
延命措置」として普通にイメージするのは病の終末期だと思う。
多くのエンディングノートの記述も、発想はそこにとどまっている。
延命を望みますか?」「望みませんか?」
あまりにシンプルな選択肢に『命の問題を何と軽々しく!』と思うこともある。

 

しかしまあ、その程度が今の日本の「延命」に対する理解度なのだと思う。
私は母の病(パーキンソン病)と老化に接して、初めて「老後の延命」は今まで考えてきた延命とは違う、ことが分かってきた。
老化の進行のごくありふれた結果として、口からの摂食が難しくなる時がある。
そんな時に、治療の過程として行う胃瘻(いろう)や経管栄養法を、「老化に伴う摂食不良」にまで適用すべきかどうか。

 

私はすべきでないと考えていたから、母が老人病院に入院する際に「経管栄養法は使わないでください」とお願いしていた。
しかしそのときでも、想定していたのは「病の進行による摂食不良」である。
病気が深刻化して口から食べられなくなるなら、それはもう限りなく終末に近いに違いない、と思っていた。

 

が、母は違った。
昨日まで、介助してもらいながらではあったが口から食べていたものが、やがて難しくなった。
「動物は口から食べられなくなったらおしまいなのだから」
と、私もそのようなことをエラそうに説いていた。
今は言えない。

 

結果的には病院側がさっさと判断して、鼻からチューブを胃に通す方法を実行してくれた。
私は事後承諾しただけだった。
その後ほどなくして、母の外界への反応が目に見えて落ちてきた。
それは経管栄養への切り替えと直接関係はないだろう。

 

以来、3年。
結果からだけ見ると私も医療側も、母を「老後の無意味な延命」に追い立ててしまった。
悔いは残る。
しかし病院から経管措置を事後に報告されたとき、「延命否定論者」だった私も「なぜそんなことを」とは言えなかったし、言う気にもならなかった。

 

■「延命」でなく「治療」を自ら立証

もちろんこうなってみて、後から悩んだ。
それがトラウマになって、父の(明らかに治療目的である)経管栄養施術についてまで、あれほど悩んだのだと思う。
父は回復した。
大方の予想を裏切り、90歳にして鼻からチューブを抜いて見せた。
延命」ではなく、「治療の過程」であったことを立証した。

 

先日、100歳老人が「75歳以上は、透析や胃ろうなどの延命措置は原則として施さず、希望する場合は全額自己負担とすべきだ」との意見を投書し、それを朝日新聞が取り上げたとき私は以下の記事を書いた。

★「延命のための延命は拒否」でいいですか?! 最期の医療めぐるおかしな”空気”

父のことがあったから、100歳老人の意見は世間をミスリードするもの、と思ったのである。
<75歳で命を値切られてたまるか !!>

 

人間はいくつになっても”もう死んでもいい”なんて、人から決められるものではない。
また自分で、「ここまで生きてきたから、もう何が自分の身に起きても構わない」ということもないのだと思う。
90歳でも100歳でも、健康が損なわれれば大きな悔いを感じるはずだ。

 

■”最も不自由な人”

父は今、どういう心境でいるのだろう。
幸せなんだろうか?
よくわからないのだ。

 

発症して数か月の頃、私はこう考えていた。
『最後に運が尽きてしまったなぁ。寄りにもよって、書家の魂である右手の力を奪われるなんて』
今の父を見ていると、それは感じない。
淡々としている。
そしてよく食べる。
右をやられている人は少なく、父は施設内で”最も不自由な人”で、食べるのが遅く、よくこぼす。
しかし3食、残さず食べている。

 

施設の職員さんは、良い人もイマイチの人もいる。
「先生」「先生」で通ってきた人が今はため口をきかれ、叱られることもある。
それに対し、父は目立った反応を返さない。
大人なのか、感じないのか、我慢しているのか。
『こんなに現実を肯定する人だったのか』と、ちょっと驚くくらい。

 

施設内はほぼ全員が車いすであり、おしゃべりできる人は”エリート”だ。
歩行器を使ってでも、自分の足で歩けることはなんと素晴らしいことだろう。
2つとも父には夢のまた夢である。

 

■父の今は「すごい」と思える

病を得てから父はいくつもいくつも困難を乗り越えてきた。
延命」などという意識は欠片もなく、ただ回復したい一心だったと思う。
あるいは生来の生きる意欲がそうさせているのか、これほどの過酷を背負いながら父は暗くならない。

 

昨日も帰ろうとする私を呼び止めて、ヒゲにきちんと電気カミソリを当てるようにねだった。
老人くさく見えるのが嫌なのだろう。

 

結局、父は家に帰りたいのだろうか。
その気持ちは半分あり、後の半分は施設の方が安心と思っているのかもしれない。
「うちに帰りたいか?」と尋ねたとき、うなずきはしたが、渇望する風でもなかった。
わが家は実はそれほど「安全」ではない。
介護についてはみな素人だし、外からの目も足りず、異変に気づかない可能性がある。
無意識のうちにそんなことも感じ取っているかもしれない。

 

延命」が是か非かなんて、(外野が)とても論じられない。
論じたところで意味がない。
本人だけが感じる想いなのだと思う。

 

ただ一つ、今の私が言えることは、「父を見直した」ということだ。
現実はもどかしいだろうに、だから私は「父が不幸な目に遭ってしまった」と思っているのに、本人は不幸である顔をしない。
グチを言わない、自分を嘆かない。言うのは
「(この病気は)長引く」と、それだけ。

 

最後まで生きてみせると言うのは、それはそれですごいことだと思える。

 

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遺言、相続対策と家族信託の専門家です。特に最近は家族や事業を守るための民事信託への関心を強めています。遺言書や成年後見といった「民法」の法律体系の下では解決できない事案を、信託を使えば答えを導き出すことができるからです。 40年間、ジャーナリストでした。去る人、承継する人の想いがよりよくかみ合うようにお手伝いしていきます。