晩稲(おくて)です。
今は「人間くさい相続こそが私の天職」と思っています。
行政書士
ジャーナリスト
ミーツ出版(株)代表取締役
と、3つの肩書を書きましたが、 どれも60歳を過ぎてから得たものです。
前半生は「新聞」一筋。
静岡新聞社の編集局長、出版局長を経て・・・・と書けば順風満帆だったように見えます。
が転機は来ます。
56歳の時に挫折、組織の人としての追い風は逆風に変わりました。
■娘にそそのかされてこの仕事に
後半生は苦労の連続。
とはいえ、おもしろくて仕方がない日々です。
私が59歳の時に娘が突然、行政書士の試験を受けるため猛勉強を始めました。
あきっぽい子だから『続くまい』と思っていたのに、会社に勤めつつ集中力を切らさない。
そんな娘がある日、言った。
「お父さんもやりなよ」
その言葉にうかうか乗ったのが私のツキです。
それまでは、家に帰れば所在なくテレビ三昧。
家内には「趣味でもいいから、何かやったら?」と言われ続けても「・・・・・」
会社での挫折は、口には出さなくても心にズシンと響いてはいたんです。
行政書士なんて、と娘の挑戦を半ばからかうように見ていたのが、自分で演習問題をやってみてがく然としました。
歯が立たない。国家資格を甘く見ていた。
根拠のない自信がグラッとしました。
しかしだからこそ、やる気が出たとも言えますね。
結果から言うと、4カ月で試験に臨んだ娘は恐るべき勘の良さを発揮して、一発合格!
私はと言えば10カ月の苦闘むなしく不合格。
惜敗というよりも、惨敗に近いありさまでした。
折しも職場は37年間所属した新聞社から離れ、お隣の放送局に移籍。
定年→楽な職場に天下り、なんてことではありません。
一兵卒としてゼロから放送の仕事(の一端)を覚えこみました。
背水の陣。
まさに、それ。
職場がイヤなわけではないですよ。
でも『俺が長く(この仕事を)やっても、生粋放送人たちより創造的な仕事なんてできないだろうな』と、感じていました。
■一浪して本気になった
それで“2年目の受験生”は本気になりました。
その年の3月、東北に津波・大震災。
騒然とする中、業務をこなし、夜は勉強。
なんとか合格にたどり着いた次第です。
翌年、62歳で放送職場を辞めました。
引き留めてくれました。
《一所懸命は通じていた!》
うれしい。僕の“勲章だな”と思いました。
自分を鍛える1年、ゼロから頑張れればどんな仕事だって、できる。
そういう意味の、自信がついての退職です。
退職した直後、出版社の社長となり、その夏、行政書士に。
二足のワラジを履くことになりました。
猛烈に忙しい。
いや、仕事ではないですよ。
(将来の)お客さまたちに名前を知ってもらうために始めたブログの執筆や、当時はやりのFacebookにものめりこみ、本を書くつもりで取材にも飛び回った、その結果です。
1円にもならないことでした。
でも、それが馬力の元でもありました。
■プロは”専門バカ”にはまる
この間に覚えたこと。
講演やプレゼンのためにまずはPowerPoint。
写真処理のPhotoShopもかじり、最後は本をつくるためにIndesignという難解な編集ソフトにも食らいつきました。
新聞社在職中にはいずれも挫折したソフトたちです。
自営となった今、節約のため、自分で覚えると決めたわけですが(いえ、もちろん手間暇を考えればほめられた話ではないんですよ。社長の仕事はもっとほかにあるはずですから)。
さらにオリジナルのブログを作りたかったんです。
そのためにWordpressまで覚え、決算期になると「会計ソフト」を買い込み株式会社の決算処理をなんとか乗り切りました。
どれも、基礎的な知識がないため一通りできるようになるだけでも大苦労です。
もちろん参考書は読みます。
インターネットをどれほど検索したことでしょう。
そんなときに思ったのが、「専門家はなんと言葉が足りないのだろう」ということでした。
根本原因は自分の知識が足りないことですが、調べる側としては「かゆい所にぜんぜん手が届いていない説明」にイライラし通しです。
専門家は、素人が「何をわかっていないのか」がまるで想像できていない、ということがよくわかりました。
私のような素人は、つまらない所につまづいているのに、(ささいな常識さえ欠けているんです)そんな所につまづき得るんだということに気づいていない。
だから平気で説明が飛躍します。
その先にはもう読み進めません。
これはどんな分野でもそう。
ネットのことでも、会計のことでも、そして私の専門分野である遺言や相続の分野でも!
専門家は“前提としての知識を持っていないド素人”の思考回路について、想像すらできません。
■人間を知らないとミスリードする
このことを痛いほど感じたとき、私は同時に『これはチャンスだ!』と思いました。
デザインやネット関係の専門家にはなれません。
「会計」も無理でしょう。
しかし遺言相続は「自分の分野だ」と直感しました。
相続は人の思いをつないでこそ意味があるわけですが、同時に「技術」がなければ承継は困難になります。
技術のことなら知識を増やせばいいのです。経験を積めばいい。
後は創造力、発想の力です。
よい相続とはなんだと思いますか?
よいお葬式を出せた、人が大勢来てくれた、相続税対策もうまくやった、大幅に節税できた・・・・ただそれだけですか?
確かにいまどき「それだけ」でも大した上出来ということかもしれません。
<争族・争続>などという当て字が一般語になっている時代ですから。
でもほんとうは・・・・・、それだけではないですよね。
相続で何より大切なのは「相(おもい)」を渡してくれる人の思いをしっかり引き受け「続(つづける・つなぐ)」ことではないでしょうか。
相続税を何千万円も節約できたとしても、そんな僥倖(ぎょうこう)は、先代ほどの緻密な計算や人間理解ができていない新社長なら、引き継いだ資産はただ1度の失敗で消し飛んでしまいます。
■節税バカにならないで!
相続は一部資産家だけの話ではありません。
引き継ぐ財産の目ぼしいものといえば「わが家」だけという家庭が大多数です。
分ける財産は1つ、でも、受け継ぎたい人は複数。
もめませんか?
当然もめます。
分ける財産が少ない“普通のお宅”こそが家族で争う”争族”になりやすいということ、最近は分かっていただける人も増えてきました。
普通のお宅を相続でもめさせない方法、きわめて困難な課題ですが、いくつか方法がないわけではありません。
▽遺言を書く、▽生命保険を活用する、▽家族信託を行う、▽家を売ってしまう、▽その他のバリエーション等々ですが、そのいずれも先代の思いを理解していなければうまくいきません。
専門家の力添えが必要です。
分ける技術という点でも、その人の思いを理解させる面からも。
だから手前味噌ですが「私の出番だ」と思っているのです。
この仕事、人間のことを知らないととんでもないミスリードをしかねません。
目先の節税効果だけに心を奪われて、現金を不動産に換えることを勧めてしまったり(不動産は確かに課税価額は低くなりますが)、老後のリスクを計算に入れずに高額の保険をすすめたり。
■“第5コーナー”がある100歳時代
こういうミスリードは「相続税対策」に限りません。
私ははじめ、自分の「専門分野」としては「遺言」と「相続」しか考えませんでした。
のちに「家族信託」を入れ、さらには「終活」も私の現場と思うようになってきました。
終活、エンディングとは、ようするに「人生後半の長い下り坂」のことです。
この坂には「まさかの坂=急坂」もありますし、老いの過程で判断能力、意思能力を失う危険もあります。
身体能力が衰えれば介護が必要になるし、重い病気にかかるかもしれません。
それなのに今の日本は、最後は「ひとり」になる可能性が非常に高い社会になっています。
3人に2人は、最後はひとりになるんです。
たいへんな時代ですよ。
でもみんな、この長いゆるやかな下り坂のリスクを甘く見ています。
というより、自分のこととしては考えたくない、だから思考停止状態なのだというべきでしょう。
「相続」まで、行きつけるんでしょうか?
最近は「人生100年時代」と言われています。
100年ですよ‼
80歳から、まだ20年もある。
人生第4コーナーがラストだと思っていたのに、“第5コーナー”があるなんて⁉
■お金は足りますか? 認知症は?
お金は残っていますか?
認知症にならずに元気でいられますか?
どうか「認知症で銀行に預金を凍結される」なんて目には遭わないでいてください。
しかし、だれも確証がないでしょう?
それなのに、孫に生前贈与ですか?
人に甘いのもいい加減にしましょう。
長い長い“人生晩年の下り坂”、一歩一歩着実におりていけますか?
そのために、専門家、プロたちがそれぞれの分野にいる。
介護でも、医療でも、その現場では非常な努力をしているし、士業の者たち、私のような行政書士も税理士も弁護士も司法書士も、各分野では一所懸命に高齢の人たちを支えています。
でも、お客さまたちにとってこの「プロたち」ほんとうに信頼に足る存在でしょうか。
どの人も、自分の分野の都合しか言わない。
「認知症? では成年後見ですね」と言う人がいます。
ほんとうに認知症になったら成年後見を使えるの?
そんな素晴らしい制度ですか?
普通の家族が使っても、安心、満足できる制度ですか?
■信頼に足るプロとは
いやいや、欠点もあるんですよ。
あるどころか、実際にこの制度に踏み込んでしまった普通の家族からは、後悔の念仕切りなんです。
普通の家族が親のこと、相続のことでプロに相談することはメッタにありません。
敷居が高いでしょ? 報酬が高いと思っている。
いや、そもそも誰に相談していいかすら分からないんです。
そして相談すれば、自分の得意とする商品・サービス・方法だけを進められて、必ずお金に直結していく。
それが当たっていればいいけれど、トンチンカンなこともままあります。
高齢のお客さまの、「誰に相談していいかわからない」は深刻です。
最初の窓口は、「行政」が担うべきですか?
違います。
行政の方たちの努力は認めつつも、公の機関は高齢期のワンストップサービス(ここに行けばすべてのサービスが受けられる)の拠点にはなっていないし、その志も欠けています。
■自分を知る「ノート」から始めよう
さて、ここからは自分のための「宣伝」です。
私は、遅れてスタートした者です。
でも後発スタートでよかった。
私にはすべての分野をつなぐ経験があります。
何より、自分が記者として普通の人の隣で考え、取材し、思いをくみ取ってきましたから、普通の人がなにをどのようにしたいかを類推することができます。
「相続」の困難さは、実はお客様自身、何をしたらいいかがほとんどわかっていない、というところにあります。
漠然としているけど、問題は山積。
あまりにもそれが多岐にわたるので、整理がつかない、というのが実情です。
悪い対策家は、お客さまの声を聞き流し、自分の分野の対策のみをすすめます。
例えば保険、不動産、投資信託・・・・・。
その多くの理由が節税、あるいは老後資金、相続税支払いのための資金作り。
それが重要な場合もありますが、もしご家族に認知症の問題を抱えている人がいれば、最優先すべきは、「その人」を最後まで見送ることができるかです。
ご家族に、知的障害などを抱えている人がいるなら、親なき後をどうするか。
そういうテーマが重要になってくるのです。
多くの場合、問題は錯綜しています。
まとめて、総合的に考えなければならないことがドカンとあるのです。
部分最適ではなく、何が重要かの順番を付け、ひとつずつていねいに心配を解消させていくこと。
その時最も必要なのが「聴く力」です。
人の話に耳を傾けられない専門家はいらないんです。
いらないどころか、障害、害成す者になります。
■老後を生きる計画と技術
老後を生きて行くには緻密な計算と計画、そして財産を活かしきる技術が必要です。
しかしそのためには、ご自分の現状を知ることが何よりも大事。
あなたは何を望んでいるのでしょう?
判断能力や意思能力が衰えて来たらどうしますか?
誰の支えがほしいのでしょう、支え手はいますか?
頼りになる人、当てになる人はいますか?
介護が必要になったら誰に、どこでケアをお願いしたいですか?
経済的な裏付けはありますか?
家族関係はうまくいっていますか?
大きな病気にかかったらどんな治療を望みますか?
入院や手術の時に求められる保証人や身元引受人はいますか?
死期が迫った時、延命を望みますか?
どんな最期が理想だと思っていますか?
それは本気ですか?
そして、すべての基盤となるあなたの財産はどのようなものがありますか?
100歳までもちますか?
あなたは「認知症」への不安を抱えていませんか?
抱えているなら、あなたの財産を(いざという時に)使えるようにしてください。
先日、こんなことを書いてもらうノートを作成しました。
当初は、A4判で50ページにもなりました。
でも先日の「5刷り」では、大幅に減ページしました。
《エンディングノート》にしてはダメだ、と思ったんです。
最後まで生き抜くための診断書、カルテにしなければ、と。
だから今は「サバイバル・カルテ」と言うようにしています。
(※『大事なこと、ノート』の「大事」が、生き続けるための「大事」に変わりました)
私のお客さまにはこれをつけてもらいます。
すべてを書ききれる人はほとんどいません。
私とマンツーマンで作業を進め、私も同じものを1冊、持つようにします。
現状認識をして計画を立て、そして実行です。
■普及させたい「家族信託」
もちろん私とお客様だけでできる仕事ばかりではありません。
静岡県家族信託協会を設立し、あらゆる業務にワンストップで対応できるようにしています。
その体制づくりにめどをつけた今、力を入れているのが「家族信託の普及」です。
普通の家族にとって使いづらい成年後見という制度を使わずに、なんとか「認知症」という大きな災いを家族の力で乗り越えてもらいたい。
コケの一念です。
平成31年4月、本を書きました。
『認知症の家族を守れるのはどっちだ⁉ 成年後見より家族信託』
長いタイトルはそのものずばり、「認知症の対策なら家族信託を使え!」の意味です。
国は今、認知症対策として成年後見制度を普及させようとしています。
私の本は、真逆。
使ってはいけない!と言っているのです。
もちろん国が「促進法」まで作って普及に躍起になっている制度です。
なくてはならない場面もあります。
しかし、信頼する家族がいるなら、この制度に追い込まれる前に、家族で決断して家族内で信託契約を結びましょう。
もう「お金が凍結される」という最悪の事態を心配しなくて済みます。
認知症が深刻化して手遅れになる前に、「家族信託がある」を、知ってください!
◆石川秀樹の略歴
ジャーナリスト、行政書士
静岡県家族信託協会代表
静岡県遺言普及協会代表
著書に『認知症の家族を守れるのはどっちだ⁉ 成年後見より家族信託』
1950年静岡市生まれ。
1973年3月 早稲田大学第一政経学部卒業
1973年4月 静岡新聞社に入社
2004年3月 編集局長
2012年8月 新聞社退職後、行政書士に
2016年3月 家族信託を手掛け普及に乗り出す
2016年11月 『大事なこと、ノート』刊行
2017年11月 家族信託のパンフとヒヤリングシート作成
2018年5月 静岡県遺言普及協会を設立
2018年7月 静岡県家族信託協会を設立
2019年4月 家族信託の本『認知症の家族を守れるのはどっちだ⁉ 成年後見より家族信託』を出版
<最終更新 2020/2/18>
<ジャーナリスト石川秀樹(行政書士)>