自分はどのような状況なら「延命」を望まず、静かに死を受容するでしょうか。
「尊厳死宣言」のような居丈高な物言いでなく、謙虚に死を迎える覚悟。
私を生かすため懸命に英知を絞り努力してくださっている医療や介護現場の人たちにも納得してもらえる”お願い書”をつくってみました。
■あえて私的な”お願い書”
A4で3枚という長い文章ですが、あえて全文を掲載します。
「尊厳死宣言書」は公正証書でつくる人が多いようです。
その理由は「命の扱いをめぐる重要な文書」という意味合いだと思われますが、文書の”公的な装い”を強調したいという面があるのでしょう。
日本では「安楽死」は認められておらず、治療を拒否するという意味での「尊厳死宣言」もその類推から、法的には可でも不可でもない状態。
医師の判断に任せられています。
一方の「事前指示書」は病院スタッフと患者との共同で作成されることが多く、その意味では「指示書」の通りになることが”保障されている”と言えます。
しかし私が今日書いた事前指示書は医療側と相談の上に作成したわけではありません。
あくまで私の希望であり、(ある意味)医療者を説得する私的な”お願い書”です。
だから「宣言書」のように、宣言して「このようにやるように」と圧力めいた物言いでねじ伏せようというものではありません。
あくまでお願いです。
しかし今後起こり得る状況を想定して、自分の要望と、そのように要望する理由を明確に述べました。
これに「NO」と言えるお医者様はなかなかいないでしょう。
文書だけでは一方的、と言われないよう、いざという時に現場にいるであろう家族の同意も盛り込んであります。
「私のお願い書」全文は以下の通り────
■私の死期に際し望むこと(お願い書)
私が病気になり終末期を迎える際に、医療や介護現場の皆様にお願いしたいことを書き記しておきます。
私は自分に意思能力があり、わけても文章を書き続ける能力がある限り、生をまっとうしたいと思っています。
認知症を発症していても、それのみをもって「延命措置停止」はお願いしません。
命を延伸しようと思えばできることを医療・介護現場の皆様に「停止せよ」と強く主張すれば、皆様に大きなストレスをおかけすることになると存じます。
ですから基本的には、私の命とその終末に際しての要望は「できる限り自然に任せてほしい」と言うお願いにとどめます。
そのうえで現行法規の中で医療・介護現場の皆様が無理なく取り得る措置をお願いする次第です。
以下、いくつかのケースに分けて、要望を申し述べさせていただきます。
Ⅰ. 病院に救急搬送時
私が急な病や事故等で救急車により病院等に運ばれたとき、心肺マッサージや人工呼吸器装着など、迅速で懸命な、あらゆる命を延ばす治療を行ってください。
石川秀樹 (行政書士)
1950年○月○日生まれ
血液型 AB型、RH+
既往症なし。常用の薬なし。アレルギーなし。
緊急時の連絡先 電話090-××××-×××× 石川○○
Ⅱ. 治る見込みのない病気の末期
末期がんや治る見込みがない神経筋疾患、慢性呼吸器疾患などで闘病しているときに死期が迫ったとき。
医療スタッフの皆様に第一にお願いしたいことは、入院する際に、①今後起こり得る事態を、とりわけ②終末期に起こり得る事態と、そのときに病院側が通常行う医療行為について十分に説明いただきたい、ということです。
その説明に従って私は、入院の時点で「その時にはこのようにしてください」と具体的に要望をお伝えしたいと思っております。
しかしながら、そのような要望をお伝えする機会もなく意識不明のまま緊急入院することもあり得ますので、私の病とその終末期において「私ならこのように選択するであろう」という“選択基準”について、事前にお伝えしておきます。
<私の選択基準>
治る見込みのない病気の末期において、私の希望は以下の通りです。
- 心臓マッサージなどの心肺蘇生 → 希望しません(いや、医師の方々の判断にお任せします。この危機を乗り越えれば組成する可能性があるなら、いかしてください)
- 延命のために人工呼吸器を装着すること → 希望しません
- 胃瘻や鼻からチューブによる栄養補給 → 希望します(ただし、すでに意識をまったく失い、意思能力もなく、家族や近しい人たちの存在も認識できないような危篤状態においては「経管栄養」は不要です。また一時的に危機が去った場合でも、意識レベルが上記のように不可逆的に低下することが予測される場合は、経管栄養を施さないでください。すでに経管措置をしている場合でも、意識のない状態が長く続く場合には挿管を中止し、静かに死なせてください。
- 点滴による水分補給 → 希望します(皮下点滴です。後は自然に任せ看取りのための時間としてください。中心静脈栄養は不要です)
- 1.~4.までの状態において、病気による苦痛をやわらげるための処置は、最大限に実施してください。苦痛緩和のために麻薬など投与した結果、副作用によって死亡時期が早まったとしてもかまいません。
以上が現在、私が考えている「終末期医療」についての考え方です。
入院時にスタッフの方々の説明を受けられるなら、私の選択基準に沿って個々のケースについて希望を述べさせていただきます。
また「事前指示書」のような書類が貴病院にある場合は、書面でも自分の要望を記述させていただきます。
Ⅲ. 病気や事故などにより重篤な状態に陥ったとき
治療行為として病院が通常行う施術・施療はすべて行ってください。
ただし治療の甲斐なく末期状態になった時には[Ⅱ.]に準じてご判断下さい。
特に私がお願いしたいのは次のことです。
治療の一プロセスとして、栄養補給のために胃瘻増設や鼻からチューブの経鼻栄養法を採用しますと、病の重篤化や時間の経過により、生きてはいるが本人の意思能力は、現況把握はほぼできないという常況になる可能性があります。
人工栄養によって体のみが生かされているという状態です。
このような状態は私が望んでいる生の姿ではありませんので、経管栄養を中断して点滴に換えるか、人工栄養の量を減らすなどして、自然に死を迎えられるようにしてください。
重要な延命措置の一つとして「人工呼吸器の装着」があります。
ひとたび装着すると、それを外せば医師が殺人罪に問われかねませんので、この取り外しは要望しません。
ただその場合でも、人工呼吸器以外の積極的な治療を控えることで自然の死を迎えやすくすることはできるかと思われます。
いよいよ終末が迫ったときには、そのような配慮もお願いいたします。
Ⅳ. 老化により終末期を迎えているとき
老化によって死期が迫っているときには、できるだけ自然死に近い状態で死なせていただけることをお願いします。
生きていたい、生きていたくないと「自分の死」を自分で決めることは、人間の権利のようにも思えますし、ごう慢であるようにも感じています。
「なるようになるのだ」というのが本当のところではないかと思いますが、今日のような“長生き時代”になりますと、どこまでが「自然」なのか、ということすらはっきりしません。
私は、自分が高齢となり寝たきりになったときには、自分の意識が清明で、読み書きする能力がある限り、人にご迷惑をかけてでも最後まで自分の生をまっとうしたいと思っています。
自力で食べられなくなったら、介助して食べさせてください。
老化や病気の進行により嚥下能力自体が衰えたときには、経管栄養にすることもお願いします。
その際は、鼻からチューブ(経鼻胃管栄養)ではなく、胃瘻の増設をお願いします。のどにチューブが通ることにより、痰が出やすくなる状態にはなりたくないのです。
しかし身近な人を認知できず、外界からの刺激にも反応しないなど著しい意識レベルの低下が常態となったときには、経管栄養を中止し、自然死に向けての措置に切り替えることを強くお願いします。
■最後は家族の選択に委ねる覚悟
「Ⅱ.~Ⅳ.まで」に共通した願いは、意思能力や読み書き能力がある間は生き続けたいということです。積極的な治療をお願いします。
しかしそれらの能力をすでに喪失し、肉体が(現代医療の力によって)生かされているだけの状態に陥ったときには、延命のための措置は中止していただきたく存じます。
「どのような死を迎えたいか」についてわがままな要望ばかりを申しました。
現行法規下で可能と思われるギリギリの「選択」に限って書きつづりました。
医療や介護現場の皆様には「考え方が違う」と思われた点もあろうかと存じますが、なにとぞ一患者の意思をくみ取り、最後の要望をかなえてください。
以上についての私の見解は家族に伝え、理解を得ております。
病の状況によっては意識が失われたまま入院するかもしれません。
その場合には以下の4人のうちの1人が責任をもって回答いたしますので、その意見を尊重してください。
家族は十分に理解してくれていると思いますが、最後は家族の選択に委ねます。
住所
妻 ○ ○ ○ ○
昭和○○年○月○日生㊞
住所
長女 ○ ○ ○ ○
昭和○○年○月○日生㊞
住所
長男 ○ ○ ○ ○
昭和○○年○月○日生㊞
住所
二男 ○ ○ ○ ○
昭和○○年○月○日生㊞
2016年8月22日
静岡市葵区○○一丁目○○番地○○
石川秀樹(行政書士)、記す。㊞
■ ■ ■
最後の最後で私は、私の生死に関する最終決定権を家族に委ねました。
もちろん自分の意思、わがままを貫き通すことはできます。
しかし家族の想いは、もしかすると、ほかにあるかもしれません。
事実、家内がこのような「指示書」を残した場合、私は考え抜くと思います。
本当に死期が迫っており、生きている状態を保つ方が苦痛が大きい場合には彼女の選択を「是」とするかもしれませんが、
意識としては明確なものがなくても、魂がなお触れ合っている感覚がある場合には、私は”家族”として彼女の事前のお願い書を認めないでしょう。
「しばらく眠ったまま待ってほしい」とお願いします。
そういう感覚があるために、最後は家族に任せたいと思った次第です。
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ジャーナリスト石川秀樹(相続指南処、行政書士)
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