遺言として法律的な効果が生じる事項は、民法その他の法律によって明確に決められています。これを「法定遺言事項」と言います。
それ以外の文言は「付言事項」と呼ばれます。書き方は自由で書く内容も自由。ですが、「法的な拘束力」は有しません。
「付言」には遺言の動機や、相続人に伝える心情(メッセージ)、遺産の配分をそのように決めた理由、相続人らにしてほしいことなどを書きます。
「付言」という漢字が当てられているので、「ついでに書く文章」であるかのように思われがちですが。「ついで」というほど軽くはありません。
むしろ「付言」は、相続をもめさせず、あげたい人にきちんと財産を渡すという”最後のプロジェクト”を成功に導く鍵を握っているというべきでしょう。
■民法に規定のないことを書くのが「付言」
法的な拘束力のある文章と「付言」の違いは何か、具体的な例を示しましょう。
「私が死んだ後、この家と敷地は長男○○に相続させる」
という文章は法的な効力を持ちます。
これは、民法の「法定遺言事項」に沿った内容だからです。
遺言事項は大きく分けると4つあります。
- 相続に関する事項
- 財産処分に関する事項
- 身分に関する事項
- 遺言執行に関する事項
上記の例文は「財産処分に関する事項」であり、「民法第908条 遺産の分割の方法の指定及び遺産の分割の禁止」の事例ということになります。
では、これはどうでしょう。
「私が死んだら兄弟姉妹仲良く、お母さんを大事にし老後の面倒をみてください」
遺言者の心情がつづられていますが、上に挙げたどの事項にも該当しない、ただのメッセージです。
民法は人や法人の権利関係を主に規定している法律なので、人の想いや心情については条文の記述がなく、それ故「法的効力」を持たせられないのです。
では、法に規定のないことを書いてはいけないし、ムダ、さらに言えば、書いたら(遺言書が)無効になってしまうのでしょうか。
そんなことはありません(この辺は常識的に分かりますよね)。
繰り返しますが、遺言には何を書いてもいいです。
■「付言」はおまけではない
公正証書遺言が普及してから(自筆遺言の6倍)効率的で誤りのない文章が求められるあまり、遺言者の主観を伝える「付言」は軽んじられているような気がします。
事実、付言は遺言の末尾に書かれることが多いようです(付け足し、”おまけ”みたいに)。
遺産分割(財産の仕分け)について書いた後、「なぜそのように分けるのか」理由を書いたり、財産とは別に”お別れの言葉”を書いたりするので、末尾に書いた方がおさまりがよいという事情はあるでしょう。
しかし「付言」をそんな使い方をしたらもったいないなあ、と私は思います。
(※「付言」は遺言書のどこに書いても構いません。「付言」と特に記さなくても、本文と同じように書いてもまったく差し支えないのです)
遺言書は財産分与の指示書ではないと思うんです。
遺言書の究極の目的は、遺言者の最後の想いを実現させること。
「最後の想い」とは何ですか? お金の行方だけでしょうか?
「私」が懸命に生きてきたこと(それ故に財産を遺せたことを)を次世代に伝えたいのではないでしょうか。
「想い」は(「権利」関係を中心にした)民法の守備範囲ではありません。
この法律は人々の感情や欲得を整理し、納まるところに収めるよう「権利」関係を整理するためのものです。
その意味では、「付言」はもともと民法的な発想を超えているのです。
「想い」は民法なんかに縛られない、もっと上位の概念だ、と言っていいと思います。
■「付言」に遺言者の想いをのせよう
「付言」は遺言者の最後のメッセージ(肉声)だとも言えます。
遺言者の想いがこもった文章だからこそ意義と、重みがあるのです。
遺言書は「要式文書」ですから厳格に形式は守らなければならない、というのは致し方ないでしょう。
しかし想いや心情までをしゃちほこばった要式に沿わせる必要はまったくありません。
お金や身分に関することだけは要式に従い、後は自由に書けばいいのです。
[付言]だからと文末に置かなければならないということではありません。
[付言]だから短く、簡潔にというのも違います。
あふれる想いがあるなら、気が済むまで書いた方がゼッタイによろしい。
以下に、[付言]を主役に置いた遺言書の文例をつくりました。
(付言は遺言書の”主役”にさえなります。使い方次第です)
どうぞ参考にしてください─────
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<ジャーナリスト石川秀樹(相続指南処、行政書士)>
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