きょうは少々、イタい話を───
■世間の動きにうとい”イタい”私
先日、父が入院しているリハビリテーション病院に入院費を振り込もうとしたところ
「1日10万円」しか振り込みできないと”機械”が言う。
上限がばかに低いなと思いつつ、やむなく9万円を振り込む。
続いて残り5万円余を振り込もうとすると、機械はエラーを告げる。
エラーと言うよりお知らせなのだが・・・・・
要するに「これ以上振り込むなら窓口で個人認証をして・・・・云々かんぬん」
しばらく理解できず、もう1度同じ作業を繰り返した。
無論、無意味な作業で、結果は同じ・・・・・。
<以前は振込上限はあっても、繰り返せば送金はできたのに>
待てよ、「1日10万円」? 「1回10万円」ではなくて??
ようやくわかった。振り込め詐欺対策で上限を絞っているのか⁉
なんと世間にうといことだろう!
なんでも知っている気で、目の前のこんな動きも知らなかったなんて!
反省するより、その時の私は頭に来ていた。
急いでいたのだ。一刻も早くこんな用事は片付けたかったのに
『こんなつまらん理由で、めんどくさいことになってるなんて』
思わず機械を蹴飛ばした(かったが、寸止めした。やれやれ)
こういう姿、外から見れば相当”イタい”だろうな・・・・・。
■「イタい」と言われぬように気づかいばかり
ということもあって私は「イタい(痛い)」という表現が大嫌いである。
急に先日の恥ずかしいエピソードを口にしたのはきょう、
Google Alerts経由で以下のような記事を読んだからである。
女の“自意識の度合い”はFacebookの旅行写真を見ればわかる
女性のFacebookへの投稿傾向について解説している記事なのだが、その中に時々「イタい」という表現が出てくる。
「いっぽう、SNS慣れしているコは、自分の写真ばかりアップするのが『イタい』と見られることをよく知っており───」
「───もはや『イタいと思われるかもしれない』などということを超越しているレベルに達していますね」
(「日刊SPA」の記事よりコメントの一部を抜粋。強調は筆者)
こういう文章表現を見ると、もはやSNSで自撮り写真ばかりをアップしたり、お仲間たちとの飲み会集合写真をアップしてリア充誇りをするような子は「イタい」、という認識が定着しているようだ。
確かにSNSは、わけてもFacebookは個人の私生活をさらけ出させる。
一見「さらけ出す」ように見えるのだけれど、まるきりすべてをさらけ出すような”おばかさん”はまずいない(いればそれこそ”イタい子”のレッテルを貼られること必定だ!)、大部分の人はちゃんと計算して、アップする私生活と、しない私生活とを分けている。
だから人に「イタい」と感じさせるか否かは、その辺の呼吸(空気・または常識、許容範囲)の見きわめ方次第ということになる。
やれやれ、ほんとうに私たちの”社会”、お疲れ様だ。
■「イタい」はいじめの心理に似ている
このような”社会”では、突き抜けてしまうと「イタい」とは感じられず、逆にリスペクトされたりし、ファンが圧倒的に増えることもある(その代償か、陰で叩かれるリスクもアップする)。
しかし中途半端な子がそれをやると途端に「イタい」「いなか者」ということになる。
「いじめ」の心理に似ているなぁ、と思う。
はやす側のなんと痛々しく、臆病で、繊細で、神経質で、かつ底意地の悪いことか。
うまく撮れたためしはないのだが、私も時々、自撮りをすることがある。
気分が良かったり、ひげ面の具合がちょうどよいと感じられたり、(自分だけしかわからないが)何か新しいことを試みているような気分のいい時だ。
こういう写真をFacebookにアップするのは「自己顕示欲の塊だなぁ」とは思う。
しかしまあ、ふだんの私らしい写真で、うまく撮れている(と思った)ので使った。
■ぶざまでも「一所懸命」が好き!
私がツイッターやFacebookに出合ったのはサラリーマン生活終盤だった。
社内ではさきがけ。評判も何も聞こえてこない。
聞こえたとしても気にならなかったに違いない。
公私の切り分けはもちろんするけれども、考えていることは素直に表現してきた。
もともとSNSは心に思ったことを発信するためで、(私は新聞記者だったので客観記事はいくらでも書いてきたが)個人の思いがそのまま表現できるメディアは珍しく、ひどく貴重なものに思えた。
そういう気持ちで日々書いているので、評価や反応は気になるものの、<自分が人からどう思われているか>なんてことは考えたこともない。
「イタい」という言葉には「(自分がしていることの)滑稽やぶざまに気づかず、なお一所懸命見せ続けること」へのかすかな憐れみと、多くの優越感と、皮肉な心理が込められているような気がする。
私は天邪鬼なので、イタい子の方が好きだ。
「イタい」と言う人には「あんた何様?」と思うし、「余計な感想、言ってんじゃねぇ」とも思う。
かく言う私は冒頭記したように、ぶざまで怒りっぽく、かなりイタい。
しかし自分のことを「イタいおっさん」とは思わないのだ。
一所懸命はぶざまである。成功するまで圧倒的にぶざまであることは仕方ない。
でも私は、いろいろあくせくできている自分を「いいなぁ」と思っている。
■
人のことを「イタい」と言う人より、”イタい人”の方が好きだ。
圧倒的に共感できる。
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<ジャーナリスト石川秀樹(相続指南処、行政書士)>
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