人生100年時計で言えば「午後4時」は66歳、90年時計なら60歳。
しがらみから解放されて自由になったのに、しょぼくれていませんか?
昼の太陽ばかりでなく夜のとばりの向こうをもっと楽しみませんか?
■サバイバル・カルテ
とあるケアハウスで「午後4時からの生き方ノート」をテーマに、ミニ講演をすることになりました。
住まれている方はみな60歳以上。
私と同年配か少し上の方々。
酸いも甘いも知っている人たちに、さて、何を話したらいいのか――。
きっかけはそこに住む高校時代の同級生にエンディングノートを送ったこと。
市販のその手のノートに納得がいかず、自分のノートを造ってみたのでした。
人生の”しまい方”はもちろん意識しています。
しかし自分の葬式の段取りなんかしたくもない、
死んで以降のことも、まあ、どちらでもよくて・・・・・。
力を入れたのは終末期医療をめぐる問題や介護の話。
「延命」については他のノートがあまりに軽々しく否定的なものだから、
少しムキになって”拒否の風潮”に注意を喚起したものでした。
こうなるともう”エンディング”ノートではなく、生き抜くためのノート。
そこで私はノートに「サバイバル・カルテ」と名を付けました。
処方せんは書けませんが、自分の現況を丁寧にチェックする、
近未来を予測したうえで、そこから先どう生きるかの計画を立てる。
なので「ノート」というよりは「カルテ」に近いというわけです。
■午後4時は人生時計の2/3
とは言うものの、まだしっくりしないんです。
『サバイバルねぇ・・・・』
講演をお約束してから丸2週間、ノートをどう説明したらいいのか。
突然、<午後4時の太陽だ!>とひらめきました。
「午後4時」というのは微妙な時間だと思いませんか?
人生の時間を24時間にたとえると・・・・。
今や”人生100年”の時代ですからね。
「午後4時(16時)」は66.7歳に当たります。
人生を少なめに見積もって”90歳”だとすると、午後4時は60歳。
3分の2が終わったにすぎません。
1日のピークの時間はいつなんでしょう。
午前ではありません。
正午と言いたいところですが、正午はまだ未熟な感じ。
経験も、気力も、実力も備わった真のピークは午後3時の太陽ではないでしょうか。
100歳時計なら62歳6ヶ月、90歳時計なら56歳4か月。
午後4時はその“人生の頂点”から1時間後です。
■「60歳」転機、という思い込み
これは何となく私が感じていることなので、正しいかどうかわかりませんが
同級生などを見ていると、45歳前後から人の印象にずいぶん差が出てきます。
オッサンになっちゃった者もいれば、30代のように若々しいやつもいる。
以上は外見だけですが、”人間の味”といえばもっと差が出そうです。
もう一つの大きな分岐点が「60歳」。
サラリーマンにとっては「定年」ですね、1回目の。
ここからの生き方は本当に人それぞれだなぁと思うんです。
印象をグラフにしてみました。
”ふつうの人”と”思い込みの激しい人”のグラフ。
最初にお断りしておきます。
このグラフは男性サラリーマンをイメージしたグラフです。
女性の生き方はまったくわかりません、わかっているのは「このグラフとはだいぶ違うのだろうな」ということだけ。
25歳―55歳にかけて、体力は多少落ちても、精神はずっと充実という”順風満帆な人生”を例にしました<青いグラフ>。
それにしても、「60歳定年」は早すぎますね。
体力的にもなんの衰えも感じない、
会社にいながら行政書士の勉強を始めたのもこの頃でした。
かなり多くの人がこういう状況で第1の定年を迎えます。
でも「定年」という言葉、実に重い。体力も気力もまだあるというのに、
現実問題として、役職から離れ一社員に戻り、影が薄くなります。
給料もピークの半分以下。
そこで自ら”終わった人”と感じる人も多いのでしょう。
60歳を境にガクンと「高齢者感」が出るオレンジのグラフの人たち。
一部の人はもちろん、「まだ頂点」のつもりで踏ん張り、権力争いに明け暮れることもあります。
でもこうやって[人生グラフ]を描いてみると、(60歳以降も右肩上がりの)常ではないグラフは、やや滑稽ですらあります。
どんなに頑張っても人間、「100歳=ゼロ」ですから。
■「もう一つの山」という夢
なんて達観、私のような凡人に持てるはずもありません。
恥ずかしいので私のグラフをここには載せませんが、建築家の旧友とは今も「90歳現役」と語り合っています。
さらに私はツイッターのプロフィールで以前、「もう一つの山に登る」と書いていました。
会社員人生のピークは54、5の時でした。そこから挫折したものの
70歳までにはもう一つの仕事で”それなりの山”を造る―そんな思惑です。
今もその夢の途中と言えば、そうかもしれません。
私と同年代の武田鉄矢さんは大病したせいもあって最近は、「下り方の研究」などと言っています。
上りならコケても手をつくだけで済むが、下り坂では転げ落ちる、と。
納得できなくもないですが、それって「オレンジ色のグラフのススメ」にも思えます。
60歳過ぎたら人生は長い下り坂、ゆっくりゆったり降りなさい。
そう思い込むから60歳を境にして、自らガクンと点数を下げてしまうのでは?
私の実感は、ブルーのグラフに近いと思います。
まだ枯れていない、あきらめていない。
しかしグラフをつくづく眺めると、ここで「もう一つの山に登る」とは、『言ったものだぜ』、と面はゆい限りではありますが。
■春夏秋冬異なる「4時」の姿
さて、午後4時からの人生です。
午後4時は微妙な時刻(とき)だと思いませんか?
真夏なら4時はまだ昼間の真っ盛り、太陽の熱が一番こもっている時刻。
秋口になるとこの時刻に、さっと涼風が吹いたりします。
11月に入り、12月となると、午後4時は夜への入り口。
30分後には日がとっぷり暮れています。
実に変化の激しい時間帯。
若い時分には午後4時過ぎを生きるだなんて、想像もしていませんでした。
でもその時間帯の真っただ中にいれば、それほど悪くもないと感じるのです。
「悪くない」どころか、最近はずっと「今が一番幸せ」と言い続けています。
はたから見れば滑稽でしょう。
そうなんです、父は90歳にして今年、脳梗塞を発症、今もリハビリ暮らし。
母は5年も前から老人病院に入院し、鼻からチューブの経管栄養を既に3年。
定年後の日々は、新しい会社の立ち上げと行政書士の仕事に神経を研ぎ澄まし、
その一方では、家内共々、母の介護にも力を相当割いて、休む暇ない毎日でした。
そんな日々にようやく慣れたころ、父が突然倒れたのです。
以降の経緯はブログにこれまで何度も書きました。
■90歳暗転も、超えていく父
父の軌跡を上にならってグラフにしてみました。
グラフに付けたタイトルの通り、「90歳で暗転」です!
書家という職業は格別で、90歳現役も比喩ではなく、運のよい人はその通りに生きられます。
高校教諭を50代半ばで辞めたときが「底」に当たり、以後書道塾経営に邁進し、お弟子さんも増え、中央での書歴もぐんぐん上がり73歳で静岡県書道連盟の会長、米寿の歳に勲章もいただいて「100点満点」が続く書道家人生でした。
85歳―90歳を「90点」としたのは叙勲直後に狭心症で一時倒れたからです。
それでも家と教室を自転車で毎日往復していたのですから、言うことのない人生でした。
そんな時に、脳梗塞が突然襲ったのです。
利き腕の右腕と右半身がまったく動いてくれません。
言葉も不自由となり、嚥下は難しく、一次「経管栄養」の状態となりました。
リハビリテーション病院の活気の中(驚くべきことにリハビリ病院の活気はすごいです!)、父はまるで”劣等生”のようでした。
その変化は「90点」の生徒が「―10点」に転落したようなもの。
■父の闘病「スゴイ」と思う
父の闘病はいつ果てるともしれません。
90歳は”人生時計”午後11時をとうに回っている印象です。
本人が必死に頑張ったとしても今後の回復は、100点満点で5点か7点に届くかどうか。
書けばその程度のことなのですが、「今の父」から私は相当なものを学んでいます。
何を学んでいるかと言えば、人生の受容力です。
午後4時を回れば誰だって、いつ何どき”人生の魔”に遭遇するかしれません。
100点、90点の人生が、あくる日にはマイナスに転じています。
マイナスに輪をかけて、誤嚥(ごえん)肺炎という落とし穴まで待っているのです。
自分の唾(ツバ)を飲み込めずに肺炎を起こして命の危機にさらされるなんて・・・・。
しかし不思議と、父からは”絶望感”が漂ってきません。
もしかしたらもう、そういうみずみずしい感性が失われているせい?とも思いつつ、
黙々と3度の食事を完食する姿を見ると、『スゲェーな!!』と思ってしまいます。
■昼間の風景だけしか見てこなかった
私はこれまで父親の「生きることへの執念」をあまりよいものと思っていませんでした。
俗物の極み、往生際の悪さは天下一品とばかりに苦い思いさえ感じたものです。
父が持っているものは、まさに私が持っている資質。
それを突き付けられているような、イヤーな感じでした。
私の「もう一つの山に登る」も、考えてみれば同じこと。
あがきと言えば、あがきなのです。
「延命」ということについても同じ根っこ。
もっと素直にすがりついていいんだ、と今の私はそう言います。
しかし以前の私は命を頭だけで考えて、「無用な延命は不要」と答えていました。
父は粘ります。
『俺に鼻からチューブをやらせろ(お前が命を計るな)』と、医師が私に経管栄養をするかしないか判断を求めたとき、それは真剣な目で訴えかけてきました。
今までは昼間の風景しか見てきませんでした。
夜のとばりの向こうにあるものについては無関心を装い、もしくは頭から否定して切り捨ててきました。
■午後4時からを楽しみましょう
未熟な私が”先輩たち”に何かを話せるでしょうか。
気の利いた話はできそうもないので、最近身近で経験した思いを素直に話してくるつもりです。
父も私も、「ふつう」から見れば少々基準から外れていそうです。
こういう生き方を人様に押し付けるわけには参りません。
しかし一方で、午後4時からの生き方のイメージがあまりに画一的だ、とも思えます。
”終わった人”なんでしょうか。
後はひっそりと暮らすだけ?
せっかくしがらみから自由になったのに、孤独をかこつだけ、なんて・・・・。
具体的に「ああしたら?」「こうしたら?」という提案はありませんが、
私なんかは60歳前後からSNSを始め、まるで文筆家のような日々を過ごしています。
Facebookでは、東京と静岡とばらばらになった家族と秘密のグループを創り、気楽な雑談をきっかけに旅行やら食事会やら、たまのぜいたくを楽しんでもいます。
手段が豊富な時代、世間や友達と交流を断ち切ったりしない限り、「午後4時からのお楽しみ」はいくらでもありそうです。
世間のイメージや、ありもしない”標準”に縛られることはありません。
ゆっくり、ていねいに、そして熱心に午後4時からの生き方を楽しみ、無事に午前零時の鐘の音を聴けるよう生きていきましょうと、提案するつもりです。
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漠然と考えていてもらちが明かないので”自分周辺”にあることをすべてメモにするためのノートをつくりました。
エンディングノートに似ています。
でもこれは「自分の死後」のために使うのではありません。
これから老後を生き抜くために使う”超エンディングノート”です。
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考えるきっかけに使っていただければ・・・・・。
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<ジャーナリスト石川秀樹(相続指南処、行政書士)>
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