先ほどデパ地下を歩いていたら、家内の友達と出合った。
何年も会っていなかったが、かすかに消息は知っていた。
夫がハワイに転勤し、何年か向こうに暮らし・・・・・。
定年となり帰国して、かつて住んでいた家は息子夫婦に譲り、
今はまちなかのマンションを買って街の住人に。
立ち話を終えて家内と目が合い、ふたりでうなずいた。
『そんな暮らしもあり?』
『そうだね』
◇
そう言えば、きのう聞いてきたばかりの話があった。
静岡市内の海に近い高台の高級住宅街のこと。
近ごろは住み替えで出ていく人が多いそうだ。
ここはゴルフの「ショートコース」の道沿いなのでよく知っている。
丘を削って住宅地にした、おかげでどの家も坂道に面している。
それもかなりの急坂だ。電動機付き自転車でも上りはきついかもしれない。
必然的に玄関は高い位置にあり、何段も階段を上がるような家が多い。

高台の家は玄関が高めの位置にあり、階段が付いている場合が多い
「若いときに住みたい家だね」
「車いすだと、ちょっとね・・・・」
両親の介護が始まってから、通ればそんな話ばかりするようになった。
きのうの話の続き────
「先に住み替えた人は高く売れて、繁華街のマンションを買っても追加資金がいらなかったみたい」
それが今は「売り手が多くなって、買い手がつかないみたいで・・・・」
長く待たされたり、買い叩かれたり、となっているらしい。
◇
考えることはみな同じだな、と思う。
子育てが終わると、もう家は何部屋もいらない。
わがままを言わせてもらえば、机は広ければ広いほどいい、
でも部屋は片付いていればそれでよく、
むしろ、狭いくらいでちょうどよくなる。
先日、「相続でもめるくらいなら」と自宅を売って中古マンションに住み替えたご婦人のことを書いた。
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「ほめたい」というのは本音である。
5か月前、父の居室を整理していて(父は現在リハビリ病院住まい)、出てくるは出てくるは、市販のごみ袋に30数袋分。
ゴミとは言えないまでも今後使うことのない服や道具たち、処分に困り果てたことを思い出した。
死ぬ前に住み替えてもいいなと本気で思う。
講演やセミナーなどでよく「施設には何も持っていけませんよ」と話す。
さらに畳みかけて「亡くなるときは(持っていけるもの)ゼロです」と。
でもこういう話、1つも人の心を打たない。
『なんて鈍いんだ』と思う。
でも、思う自分が浅はかなのだろう。
鈍いのではなく、実感がわいていないのだと思う。
私だってわかった気になっているのは、母と、父とが相次いで寝たきり状態となり、否も応もなくその生活に付き合わされるようになって以降である。
物はすぐにたまる。本も置き場がないくらいに。
どこかで”ためる”をやめなければ・・・・・。
◇
住み替えを早くも始めた友人は手本である。
まちなかの広い一部屋が私にとっては(たぶん)最も快適だ。
何も置かず、何も積まず、増えてきたら捨てる、そして忘れる。
ハワイ帰りの知己の話が久々、私ども夫婦の「こうしたい」想いを刺激した。
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<ジャーナリスト石川秀樹(相続指南処、行政書士)>
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