妻に全財産を相続させることはできないのだろうか。
遺言書を書いても、法定相続人には「遺留分」があるので「全部」というのは難しい、というのが現在の常識。ではあるけれども、なんだか釈然としない。
そこで前回、なんとしてでも妻が全財産を自分の管理下におけるよう”秘策”をひねり出し、ご紹介した。きょうはそれとは別の視点から、子の遺留分減殺請求を封じるために自筆遺言書をもっと使えないか、検討してみたい。
■前回書いたのは苦肉の遺留分対策
前回書いた記事はコチラだ。
★「妻に全財産を相続させる」遺言を本当に実現させる。遺留分減殺請求を封じる秘策 !!
普通のサラリーマンや個人事業主の家庭では、夫が亡くなった場合、妻の収入と言えば遺族年金だけとなる可能性が高い。そうなると法定相続分だけではいささか心細い。やはり全部をあげておきたい。それで上記のような提案記事を書いたのだった。
少しおさらいをしておこう。
遺留分は法定相続分の2分の1。
第3順位の法定相続人、(被相続人の)兄弟姉妹には遺留分がないので「妻に全財産──」の遺言さえ書いておけば完封できる。
第2順位の法定相続人、(被相続人の)両親は、事情を話して説得すれば、減殺請求などということにはならなくて済みそうだ。
ところが第1順位のわが子たちとなると、聞き分けのある子ならいいが今日日、素直で思いやりがある子ばかりとは限らない。
するとこの遺留分減殺請求を完封するのはかなり難しくなる。
それで私は、遺留分をめぐって後で妻が殺伐とした思いをするくらいなら、はじめから遺留分相当の財産は遺言で「子に与えてしまおう」と考えた。
(※遺言を書くことは必須の条件です。遺言がないと遺留分は浮上せず、法定相続分を争うことになりますから)
ただし、現金や預貯金は与えない。
これは妻の老後資金として1円だって無駄にはできない。
与えるのは自家の宅地である。
家は現在、妻が住んでいるが、すぐにどうこうしようという資産ではない。
ならばこの「持ち分」をいくらか子に相続させても影響はなさそうだ。
何を相続させる(あるいは遺贈する)かは遺言者の勝手である。
もらう側から「これがほしい」と請求できるわけではない。
土地について遺留分相当以上の持ち分を与えれば、子の遺留分減殺請求権は消滅する。
土地を共有すると妻が息子から追い出されはしないか?
「共有物」の法理に則ればそういうことにはならない。
共有物は所有者の全員一致がなければ売買などの処分行為を行えない。
子は土地に対する一定の所有権は持つのだが、処分権限は事実上縛られることになる。
■父の直筆の文字には訴える力がある
ここでも自筆遺言書は戦略的に使われている。
一種の”指定権”を存分に自分本位に活用したわけだ。
これをされれば、子は当然のように「してやられた」と悔しくなるだろう。
これから書くのは、やはり自筆遺言書を使うのだが、使い方は根本的に違う。
もっとオーソドックス、自筆遺言書本来の強みを生かすやり方だ。
素直に、ストレートに、子に親としての想いを語り掛け、子の心を揺さぶるのだ!
法定相続人は息子2人を想定。
遺言書
息子たちへ。
よく立派に育ってくれました。親として出来ることは、生涯の財産になるであろう「教育」を十分に付けてあげることだけでした。
私に力がないものだから奨学金を使うなど、あなたたちもずいぶん苦労しましたね。
でも立派にやり遂げてくれました。ふたりとも自立し、結婚もして、私と妻は4人の孫のおじいちゃんとおばあちゃんになりました。ありがとう。
これからも家族で助け合い、仲良く暮らしていってください。
さて、どうやら私の方が妻○○よりも先に逝くことになりそうです。
彼女の老後のことが心配です。私の死後、収入は遺族年金だけになります。マイホームがあるので住むには困らないけれども、生活のことを考えると私が遺すわずかな預貯金に頼らざるを得なくなるでしょう。
そこで私は。以下のように遺言します。
私の全財産を妻である静岡花子に相続させる。
この遺言にあなたたちは不満を持つかもしれません。
しかし私と妻花子が築いた財産は(と言っても、家と土地と老後資金である預貯金しかありませんが)、花子が亡くなればあなたたちが引き継ぐことになります。それまで少し待ってください。
お母さんに遺留分減殺請求など決してしないでください。
またお母さんが病に倒れたり、認知症になったりしたときはあなたたちの力が必要です。見守っていてください。
わがままな願いではありますが、聞き届けてはくれませんか?
平成○○年○○月○○日
静岡県静岡市○○区○○町○丁目○番○号
遺言者 静岡太郎 ㊞
親の自筆の遺言書は本来、子の心に訴えかける力を持っている(子が素直に読み取るならばではあるが)。
遺言書の効力の部分は真ん中の1行「妻に全財産を───」だけ。
その前後の文章、心情を訴えかけた部分は「付言」とでも言うべきで、通常の遺言では文末に添えられることが多い。
(※「付言」は一種のメッセージであり、法的な拘束力はありません)
それを今回は前面に押し出し、強く訴える効果を狙った。
この自筆遺言書を見れば、普通の親子関係なら99%、「遺留分云々」を書くまでもなく、父が亡くなる1次相続ではお母さんにすべてを相続させるとことで子らは納得するだろう。
付言は公正証書でも書くことができるが、気持ちを伝えるなら、やはり自筆の遺言書の方がいいだろう。
直筆の文字には訴える力がある。
また、遺言を書いたら、書いてあることを子らにぜひ伝えておいてほしい。
父の死後、こつ然と遺言書が持ち出されるより、子としては親の思いを素直に受け取りやすくなると思うからだ。
■すれ違い親子にも効く処方せん!
子と父の心が完全に離反しているときにはどうだろうか。
関係が壊れている場合は、「親の心情」と言っても、届きにくいかもしれない。
しかし自筆の遺言書はこの際、”最後の手紙”でもあり、訴える価値はあるはずだ。
遺言書
息子たちへ
(兄弟2人、兄は普通、弟は消息不明という状況を想定)
(兄に感謝の言葉を書いた後)
△△へ
今はどこにいますか?
長い間家を空け、お前はお母さんが先年、大きな病を負って入院した時にも姿を現しませんでした。
小さい時からお前とはすれ違いばかりでした。どちらが悪かったのかよく分かりませんが、気持ちを理解することができなかったこと、おわびします。
私は重篤な病を抱えているので、お母さんより先に逝きそうです。
そこで、以下のような遺言を遺します。
私の全財産を妻である静岡花子に相続させる。
嗤わないでください。私とお母さんとで築いた財産はわずかなものでした。わが家(家と敷地)と少しばかりの預貯金だけ。
これらはお母さんが亡くなれば君たちが相続することになります。お母さんは遺族年金と預貯金を頼りに老後を生きていくことになります。
長男の〇〇にはお母さんの日常に関心を持って、病気や介護が必要になった時には適切な療養看護がなされるよう手配をお願いします。
△△には、ふらりと現れてお母さんに無茶なことを言わないよう、お願いします。でも時々はこの家に顔を出してくれませんか?
私との確執は(私はもういないので)さらりと捨てて、お母さんを安心させてください。
なおふたりにお願いです。
お母さんへの遺留分減殺請求はしないでください。
お母さんは請求の意味も分からずに困惑し、かつ代償金を払おうにも払える状態ではないので、困り切ってしまうでしょうから。
まことに失礼なことを書きましたが、切に、切にお願いいたします。
平成○○年○○月○○日
静岡県静岡市○○区○○町○丁目○番○号
遺言者 静岡太郎 ㊞
この親子は長い間に、互いの気持ちがすれ違っていると思われる。
ある日を境に、子は親とのきずなを切った思いでいるのかもしれない。
こういう場合には、親は自分の意地を張っていれば、相手の胸に届く言葉は発しられないだろう。
しかし素直になって書けば、わだかまりを瞬時に溶かす処方せんになるかもしれない。
■心が腐った子には心情作戦も通じない?
子と親の対立、世間にはよくある話しだ。
子が親に暴言を吐く、身体に危害を及ぼす、病気の状態にあることを知っていながら放置など、目を覆いたくなるような状況も珍しくはない。
ただ、こと遺言を書くということについて言えば、これらの子たちの状況が日常的にあるなら、遺言書でこれらの子を相続から「廃除」することができる。
問題は、そこまでの状況ではないが「かなりひどい」という例がままあることだ。
働かず、親に金銭をせびり、放とうやギャンブルに使ってしまう、薬物に手を出すなどの事例だ。
こういう子らも、法定相続人の立場になれば法定相続分があるし、遺留分の権利も残る。
またこういう連中に限って周りに入れ知恵する者も多く、わずかな権利を主張してやまないだろう。
この記事を書くとき実は、真っ先に『こういう親不孝どもをなんとかできないか』と考えた。
老親には生存権があるはずだ。
夫が遺した家産が少ない場合、法定相続分通り財産の半分だけ相続すると「人としての最低限の生活を送る」ことも困難になるかもしれない。そんな場合に、「権利」だからと言って遺留分減殺請求を親の生存を脅かすのは「権利の濫用(らんよう)」ではないか。
親の生存権と子の”権利”がぶつかったとき、遺留分減殺請求権を否定する判決も出ているのではないかと思って判例を調べたが、ドンピシャリの判例は見つからなかった。
「遺留分減殺請求は」民法1046条で「遺留分権利者及びその承継人は、───受遺者又は受贈者に対し、遺留分侵害額に相当する金銭の支払を請求することができる」と、「権利」の形で記述されているので、司法はおおむねその権利を擁護する方向で個々の案件を見ているようだ。
したがって人間性が欠け落ちた子らに対しては、心情あふれる自筆遺言書をもってしても冷え切った心を溶かすことはできないかもしれない。
出来ない場合に「権利の濫用」の法理を振りかざしてみても、司法は必ずしも味方をしてくれない。
そうなるとやはり、”秘策”を使うしかないのだろうか。
残念至極だが・・・・・。
静岡県遺言普及協会
ジャーナリスト石川秀樹(相続指南処、行政書士)
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