こんにちは、静岡県遺言普及協会の石川秀樹です。
人間には「自分は大丈夫」と思い込む正常性バイアスが働くので、身に危険が迫っていても逃げ出しません。これは「相続対策」にも言えて、老後の不安に手を打つことなくいきなり「相続の心配」などをしがちです。これ、順序が逆ですっ!! まず「自分の安心」を確保しましょう。
まことに言いにくいことながら・・・・・・
《歳をとってこうなったら困るな、嫌だな》ということは必ず起きます。
でもあなたは「対策」を取らない。なぜか。私の身に不幸なことは起きない、と無意識に自分自身を説得してしまうからです。
これが”正常性バイアス”。まことに困った「偏(かたよ)り」と云うしかありません。
■「なったら困る」は必ず起きる
ウィキペディアはこう説明します。
正常性バイアス(せいじょうせいバイアス、英: Normalcy bias)とは、認知バイアスの一種。 社会心理学、災害心理学などで使用されている心理学用語で、自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう人の特性のこと。自然災害や火事、事故、事件などといった自分にとって何らかの被害が予想される状況下にあっても、都合の悪い情報を無視したり、「自分は大丈夫」「今回は大丈夫」「まだ大丈夫」などと過小評価する。
思い当たりませんか、こういうこと?
でも、こと「老後への備え」で言えば、ふと浮かんだ不安、冗談で口にしていたことは、実際に起きてしまうことが多いです。
直観は当たっている。私自身が体験しました────
と、ここでわが家の特殊な体験を持ち出して
(両親とも90歳、2人とも原因は異なりますが現在、鼻からチューブの栄養法で寝たきりの状態です)
「ほらね、だから対策しなくちゃダメなんですよ」と言っても、説得力はなさそうですね。
あくまで”特殊な”事情ですから、「それが何か?」とスルーされるのが落ち。
人はそれが正常性バイアスだとは認めません。
わが身に起きて困ることは「自分には起きない」「他人ごと」にして先延ばししないと、生きていくのが難しくなるからです。
言ってもせんないことをなぜことさらに騒ぎ立てるのかというと、
この不安を直視して、「よーし、これはなんとかしよう」と本気で立ち向かってもらわないと、本当の相続対策にはならないからです。
「相続対策」で皆さんが思い浮かべること、いくつかあると思います。
■「ひとりになる」に対策しておきましょう
なんといっても、
- 私の相続で家族がもめないでほしい
- 家族にできるだけ多く遺し、できるだけ税金を免れたい
- 生前贈与で(私が)元気なうちに、子や孫を助けてあげたい
- 財産は現金化しにくいものばかりなので、なんとか納税資金をひねり出さなければならない
- 事業承継で会社を危うくしたくない、この難所をうまく切り抜けたい
こういったことはご安心ください、お金に絡む対策ならなんでも、できないことはありません。
でも「相続対策の専門家」にできることは、お金に関する問題だけ、と言っておきます。
お金の専門家が口にしないことがあります。
例えば以下のような「ひとりになるかもしれない」という不安について─────
- 今は夫婦で暮らしている、でも私がひとりになっても子らは同居してくれそうもない。
- 私がひとりになったら誰が面倒をみてくれるのだろう? 私も家からは離れたくない。
- ひとりになったら施設にと思っているが、子どもたちはまったく無関心だ。
- 今は体が動いているけれど、介護される状態になったらどうしよう。
- 認知症になるかもしれない。お金の勘定ができなくなったら・・・・?
- 入院や手術では保証人と身元引受人が必要。家族はいるがみな遠くにいるので不安でしかたない。
- 妻は認知症だ。私が死んだら家を売ってそのお金で施設に入れたいが、私の代わりにやってくれる人がいない。
- 私に身寄りはなくずっとひとり。財産が残ったらどうなるのか、考える気もしない。
- そもそも独り暮らしの私が死んだとき、誰が気づいてくれるのだろうか。
こういった問題は「相続対策」というより「終活」と言うべきかもしれません。
家族がいても不安、いなければもっと不安といった問題です。
こんなに重大なことが、「相続対策」の現場ではスッポリと抜け落ちていることが多いんです。
何の不安もないかのように、相談する人も、される人もお金の話ばかりです。
■「青い線」平坦ではありません
これって多分、正常性バイアスが働いているんでしょう。
<明日のあなた>は安全でも安心でもないのに、家族の未来をどう助けようか、なんて話をしてるんですから。
下のイラストを見てください。(別のテーマのために作ったんですが)
このイラストは「老後」ということを説明するためにつくりました。
老後を意識するのはふつう、定年してからでしょうか。
収入的に言えばここで第1のガケ(収入がガクンと減ります)。
65歳で完全リタイヤ、収入もさらに減り第2のガケ。
両親が亡くなると多くのご夫婦は”ふたりだけ”の生活に。
やがて配偶者が亡くなって寂しさが募るのと同時に、収入も第3のガケに当たります。
まあ、こういった雑駁な説明ですが、問題なのは「相続対策」をどこで考えるかです。
早い人は第1期から考えるでしょう。
男女とも2期目がピークで、3期目となるとちょっと遅いですが、間際にならないと考えないのが人の常と言えるかもしれません。
では「相続対策」とはどこの話でしょうか。
言うまでもなくあなたが亡くなった後の話!
青い線(人生行路)はヨコ一直線、水平に引かれていますが、本当は平坦でないこと、お分かりですよね。
「収入」で3つのガケを説明していますが、肉体・精神のガケは年を追うごとに厳しくなっていくはずです。
終活でよく使う「エンディングノート」はそれを予測しているはずですが・・・・・
私の見たところ、通り一遍の”不出来なもの”が大半です。
■真剣に老いの下り坂を迎える!
(もし実際にエンディングノートを書いた方がいらっしゃったら、怒らずに聞いてください)
私が手にしたノートはどれも”人生のおしまい”のイメージが貧弱でした。
人がどのように人生の幕を閉じるのか、どんなシーンがあって、その時どんな選択肢があるのか、リアルに想像できていないのです。
その最たるものが「延命拒否」の扱い。
医療の現場では、ということは私たちが病気や事故や長寿などによって「死に接近する場面」のことですが、がんの末期だけが終末期ではありません。
そんな貧困な想像力で「延命拒否」の項目に「✔」を入れたら、命がいくつあっても足りはしません。
終活もただの流行で、エンディングノートもただの気まぐれでは意味がありません・・・・・。
話がそれてますね、元に戻しましょう。
「老後」をどう迎えるかです。
老後は長い下り坂、それも数多く落とし穴があるどんでん返し付きの坂道だ、と断言します!
1期から3期までずっと健康で、最後は老衰で大往生なんて運の強い人は極めてまれな存在。
がん・心臓病・脳卒中、認知症、心身の衰え・・・・落とし穴を数え上げたらきりがありません。
でも正常性バイアスです。
「私の身には起きない」と思ってしまうのが人間で、だから心配性の私はつい先回りしてしまうんです。
心配の最たるものが、「ご家族の絆(きずな)は大丈夫ですか?」ということ。
家族のために生前贈与まで考えているあなたのご家庭は、申し分ないのでしょう。
でもあなたは、「家族に迷惑を掛けたくない」と思っているのではありませんか?
■「迷惑かけない」なんて発想、捨てましょう
その発想、やめてください!
「老後」は必ず人に迷惑を掛けます。
ここを否定したら、何もできません。
財産をあげるから、ということではなしに、せっかく「相続対策」をするのだから、それを家族の絆をさらに強める機会にしてほしいのです。
先ほど、「(相続対策で)お金のことなら解決できる」と断言しました。
誰にも文句を言わせず「相続」を思った通りに終わらせることはできます。
でも感情の面で、みなが納得できたかどうかとは別問題のはず。
みなに平等に財産を分けることはほぼ不可能でしょ?
必ず偏りは出ます。出た方がいいのだとも言えます。みなが平等にあなたと接してきたわけではないですから。
もっと言えば、「相続対策」は平等にならないことを前提に、それでも誰も傷つけないことを目標に行います。
その場合に、みなに納得してもらえるかどうかは「心の問題」です。
ここはテクニックというより、あなたと相手との心の距離ではないでしょうか。
対策をすべて秘密裏に行うことはおすすめしません。
あなたの意思(想い)をはっきり口に出すこと。
そして相手の「想い」にもよく耳を傾けることです。
■心のトゲは抜き取ってください
私が「相続対策」の相談をお受けするとき、真っ先に聞くのは財産の状況ではありません。
家族構成を聞き、時間を掛けて家族一人ひとりの状況をお聞きします。
それから何をどうしたいのか伺うわけですが、意思が明確な人はあまりいません。
なので財産の振り分け以前の、ご家族との話を聴くことが多くなります。
意思が明確過ぎる場合もときにはあります。
「あの子には1円もやりたくない」みたいな・・・・・。
そんな時には、理由を伺います。
「そうですか。それはそうした方がいいでしょう」と即答できることはまずありません。
感情のねじれは、一方的にどちらが悪いと言えないことが多いから、うかつに同調できないのです。
相続を最終的にどうするか、ねじれたまま進めることはできません。
(やってできなくはないが、そんなお手伝い、したくないんです)
心にトゲが引っ掛かったまま「もう、おしまい」はないでしょう。
誇り高い人は弱みを見せたがりませんが、「老後」は別物と考えてください。
別の人生です。自分ではどうしようもない”下り”なんですから。
「負け」でもなんでもない、心を開いていくひとつの過程に過ぎません。
■”しかるべき人”に託すのが相続です
老後の対策と言うと、平均寿命まで生きるのにいくらいくら必要だ、なんてことをよく耳にしますが、私が言いたいのはそんなことではありません。
せっかくご家族がいるなら、その絆をより強いものにしましょう、ということです。
(おひとりの場合は別の対策を考えます)
正常性バイアスを信じてはダメです。
起きる可能性があることは、特にあなたがふと感じた不安や懸念、心配事は、今後、不都合な時期に限って起きてきます。
頼りになるのはやはり「家族」です。
家族関係も、意識を持って、しっかりメンテナンスをしておかないと(おかしな表現ですが)劣化していきます。
絆が深まるかどうかは、財産の多寡とは関係ないでしょう。
お互いに相手をどれだけ思いやれるか、ということだと思います。
病院に入り、施設に入れば、私たちは財産を何も持っていけません。
ベッドに寝たきりの両親を見ると、つくづくそんなことを思います。
ましてあの世に持っていけるのは「自分の魂(たましい)」ひとつ。
他はすべて遺していくのだから、その”財産”はしかるべき人が引き継いでくれるよう、お願いするのが筋です。
それが「相続対策」です。
”しかるべき人”のことを考えてください。
あなたのことを想ってくれる人は誰ですか?
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静岡県遺言普及協会
<ジャーナリスト石川秀樹(相続指南処、行政書士)>
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