★家族信託の契約は「認知症と診断されたら即アウト」ではありません!

成年後見
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家族信託の契約は『認知症』と診断されたらもうダメですか?」
メールで、電話で最近、多くの人にたびたび聞かれます。
ダメなわけがない、と思いつつ、「急いでください!」と強くいうことにしています。
「大丈夫ですよ」、と言いきれるほど現状は甘くはないので。

 

■でも、お急ぎください‼

下のイラストを見てください。
青のグラデーションが「認知症」の常況を示しています。
症状が重くなればなるほど「黒」に近づくように表現しました。
見て分かる通り、「認知症」は実に幅広い。
「a」地点でも認知症だし、「d」地点でも認知症。

 

どの段階まで家族信託はできるか

「a」地点は、家族から見て「あれっ、ちょっとおかしい⁈」という程度の段階。
一方「d」地点は、文字が読みにくくなるほど症状は進んでしまっています。
患者さんはもう、”あちらの世界”に行っていて、家族のことも、自分が誰かさえ分からない状態。
あるいは”準植物状態”というのでしょうか、人間らしい反応はほぼできない常況です。
でも「a」から「d」まで同じように、「認知症」と呼ばれいますよね、現実は。

 

「d」にいる人を、「(こうなったら)成年後見ですね」というのは間違っていないと思います。
認知症がこの常況まで進んでしまったら財産管理を自分では行えませんから。
本人の財産を使うことはあきらめ、家族の負担で丸ごと患者の面倒を見るか、
本人の財産を使うなら、第三者の職業成年後見人を付けるしかありません。
(最近はめったに家族が成年後見人に就任することはできなくなりました)

 

しかし認知症がここまで進んでいない「a・b」や「c」地点にいる人にまで公的後見制度の網をかぶせる必要はあるのでしょうか?
ところが、そんな余計なことをやろうとしている人たちがいるんですよ。
聞いたことがないと思いますが、最高裁判所内にある「最高裁民事総局家庭局」という官僚組織です。
ここが公的後見制度の大元締め、制度の運用を一手に担っています。
「a→d」までの患者すべてを公的後見制度の許に置きたいなんて、いささか誇大妄想だと思います。
本人も、家族も、そんなことは望んでいない!

 

■よい家族に「成年後見」なんかいらない

つまらない、かつ意味のない権勢拡大の野望を捨てて、最高裁の官僚たちには現実を見てもらいたい。
a→b→cの常況にいる多くの人は自分を「認知症」と認めていないし、赤の他人に財産を任せたいなどと考えません(そんなこと、想像もしない)。
この点、法定後見制度という「制度」を作った側とは大違い。
使う必要があり、かつ②使いやすく、③合理性があれば使うでしょう。
どれかが欠けていれば使わない。
まして全部が欠けていれば、使おうとするはずがない。

 

そういう制度になっているかどうか、「作った以上その制度を使わせる」なんて傲慢な役人根性を見せずに、何が足りないのかを謙虚に考えてみるべきでしょう。
理屈や、底の浅い正義感(高齢で認知症の人を救うという思いはあるでしょうから)を振り回していないで、ぜひ家族の実情を見てほしいと思います。
良い家族がいる場合、公的後見制度なんかいりません
昭和の時代には普通に行われていたことを、もう少し法的に整備し公共的な色彩を持たせ、家族に本人の財産の管理と身上保護をやってもらう。
そういう制度があれば十分です。

 

■不正に神経とがらせ鎧を着た制度に

2000年、介護保険制度創設と同時に誕生した「公的後見制度」はまさにそれでした。
後見は家族にしてもらう(家族がいない場合にのみ職業後見人がこれを行う)、財産だけでなく病院や介護保険や施設への入退所も家族がつきそって行う。
それは謙虚で合理性のある制度でした。

 

しかし、家族が行うと不正をして本人の財産をごまかし使ってしまう人も出てきます。
「公的後見制度」と標榜しているから、「さぁ、大変。家庭裁判所の監視だ。職業後見人でなければダメだ」となって、現在のような運用になり果ててしまいました。
家族の自治は、まったく信用されなくなってしまったのです。
信用できないが高じて、今や家族は後見人や家裁にとっては”仮想敵”のような存在に。
かくして公的後見制度は鎧かぶとを着たプロの戦士が戦う(?)無味乾燥な戦場のような場になってしまいました

 

こうした行き過ぎた司法の暴走装置に換わるのが「家族信託」という財産管理手法です。
「a→cの手前にいる人たち」なら、この手法で十分家族の手で本人を守れます。
事理弁識能力をすっかり欠いた常況になった「c後期」「d」の人たちは、残念ながら家族信託では救えません。
家族信託は「契約」ですから、契約能力がなければ約束事は成り立たないのです。

 

■認知症は脳の誤作動。「痴呆状態」とは違う

私はこれまで「認知症」を「aからdまでの段階」でとらえ、「多様な現れ方がある」と説明してきました。
病の初期から現れる症状もあるし、認知症が深刻化した結果として現れる状態もあります。
書いて説明すると長くなるので認知症の症状を「図」で示します。

認知症の症状(認知症ねっと)

認知症ねっと(https://info.ninchisho.net/symptom/s10#)」の資料より

昔は認知症のことを「痴呆症」と呼んでいました。
まったくの誤解です。
認知症の「中核症状」のうち「失語・失認識・失行」というのは分かりにくいですね、
いわば周りの”空気を読めない”状態のことです。
「周辺症状」も「異食」などと書かれるとなんのことだか分かりませんが、「自分のウンチを食べたりする」こと。
表の言葉をわかりやすい表現に変えましょう────

  • 排泄の失敗を繰り返す
  • 介護されるのが煩わしく何日も同じ服を着る
  • 施設に入れられると「私を返して」と一日中繰り返す
  • 妄想を見る
  • 意識が混濁したり殺されたりする夢を見る
  • 夜中に眠れず昼夜が逆転
  • 食べたことを忘れてしまう
  • 目を離すといなくなる(徘徊する)
  • 風呂に入らなくなる
  • 極度に疑り深くなる
  • お金や通帳が盗まれたと訴える
  • 介護を拒否する
  • 大声で叫ぶ
  • 口汚くののしる

といった行動が代表的な例。

 

慣れない人が親のこんな状態を見るとショックを受けてしまいます。
「狂ったか⁈」と思ってしまうんですよ。(私自身がそうでした)
深く傷つき、そして慌てます。怒りも湧いてくるかもしれません。
特に、疑り深くなる症状は最悪。
「この家には頭の黒いネズミがいて私の財布を持って行ってしまう」
などと言われたら、お嫁さんは震えるほど怒りたくなるでしょう。

 

しかしこんな言動も、本人の性質がねじ曲がってしまったからではなく、脳のどこかの機能が狂って(機械で言えば”誤作動”を起こして)言っているのです。
認知症は”脳の誤作動”!
決して痴呆になっているわけではありません
知的レベルの逓減はあっても、知能がないわけではなく、誇りもあります。
また認知症を取りつくろい正常なふりをする等、巧妙な脳の働きを見せることさえあります。

 

■申立てすると8割に成年後見人が付される”怪”⁈

それなのに世間の認知症に対する偏見はすこぶる強い。
中でも、法曹界の誤った先入観は実に甚だしい、というべきでしょう。
「認知症」だと説明されれば「a」でも「d」でも構わず”廃人”のような目線で断を下そうします。
なまじ自分が正常だから、そうでない人は極端に劣った人に見えるのか、正常、または補助相当と見られる「a常況」の人でも「公的後見制度が必要」と審判したり、「b」や「c」常況なら補助や保佐相当なのに、「後見相当」と審判する傾向があります。

 

別の理由もあります。
成年後見の方が、後見実務はやりやすくなるのです。
後見なら”事理弁識能力を欠く”本人の承諾を無理に求めずとも、成年後見人が思った通りに財産管理や処分が行える、というわけです。

◆成年後見人に傾く審判状況

  申し立て総数 後見開始  % 保佐開始  % 補助開始  %
平成28年 34,680 28,472 82.1 4,268 12.3 1,264 3.6
平成27年 34,548 28,040 81.2 4,510 13.1 1,282 3.7
平成26年 34,373 27,515 80.0 4,806 14.0 1,314 3.8
平成25年 34,782 27,521 79.1 5,085 14.6 1,360 3.9
平成24年 34,349 26,836 78.1 5,325 15.5 1,297 3.8

(最高裁判所民事総局家庭局平成28年資料)

その証拠がコレ。
成年後見制度を扱う事務方のトップ「最高裁判所民事総局家庭局」が作成した最新の資料です。
成年後見・保佐・補助の3類型があるうち、8割強が審判で「後見人」が付されました。
認知症患者の実態とは真逆(本当に事理弁識能力を失った患者はせいぜい10%程度)。
このような結果になる理由はいま書いた通り。
現場の職業後見人たちは、被後見人に振り回されないで済む「後見相当との審判」を切望し、家庭裁判所はその要望に沿った審判をくだしています。

 

それほど認知症の症状が深刻とも思えな人やその家族が金融機関などからそそのかされ、つい審判を申し立ててしまう。
いったん申し立てたら撤回不能。
かくして「だまされた」と感じる怨嗟の声が、ネット上には満ち溢れているし、私のもとにも泣きたいような後悔を書いてくる人が引きも切りません。

 

■「成年後見」はクモの巣⁈

そもそも成年後見人を中心とする「法定後見制度」は何のためにあるのか。
私は超高齢社会の安寧を守るためのセーフティーネット(社会的な安全網)だと思っています。
財産管理ができないために社会生活から転落しないようにという(イラストの人はかなり若いですが)。

安全ネット

それが今や、安全網どころか私にはクモの巣のように見えて仕方ありません
ふつうの家族が「成年後見」に引き込まれる動機はお金です。
先ほどの最高裁民事総局家庭局の統計によれば、なんと<全体の83.7%もの人が「(本人の)貯金をおろせない」「定期預金が解約できない」からと、成年後見申立てをしてしまっています!
「本人の困った」よりも「家族の困った」を契機にしてクモの巣に引っかかります
「お金が引き出したければこっちですよ」と甘い蜜を用意しているかのような誘導。

 

でも「公的後見制度」の理念からしたら、これはおかしい!
そんな甘い蜜など入り込む余地のないのが後見制度です。
この制度創設当時の理想は、「本人の残存能力を生かし、その人らしい生き方を支援しよう」というものです。
だから高齢で事理弁識能力を失った本人を代理して「生きていく基盤である本人の財産を守ってあげる」ということになったのです。

 

■家族を蜜(みつ)で誘ってだまし討ち⁈

しかし上で表現した”甘い蜜”は本人を誘っていない。
本人のために本人の預貯金を使おうとしている(実に正当な理由です)本人の家族を釣ってしまっている!
これが公的制度の入り口であって、本当にいいんですか⁈

 

いいわけがない、と私は思います。
1回限りの手助けで「後は家族が後見してください」なら納得できます。
しかしこの制度はそれが「入り口」で、本人が亡くなるまで続く長い長いトンネルの入り口なのだから、
「それは違うだろう!」と叫んでいるわけです。

 

しかし最高裁民事総局家庭局の面々は、恬(てん)として恥じていない。
この官僚たちの頭の倫理回路はどうなっているのだろうか。
だまし討ちでしょう⁈
それが司法の頂点である「最高裁判所」であるから、私はうすら寒くなる。

 

クモの巣

■生涯報酬1千万円超という「後見」という仕事

成年後見は「本人の財産を守るための制度」と言っておきながら、実際には家族の困ったに付け込んで申立て実績を増やそうとしているなんて。
カツカツの生活をしているわれわれ庶民は、両親が施設に入らなければならなくなったとき「本人の預貯金があるなら、それで賄ってよ」と考えます。それなのに「家族じゃダメ。認知症の人の預金を崩すなら法定後見人を付けて」などと金融機関に誘導されれば、申し立てをしたくなるのは当然。

 

私が「普通の家族は成年後見など使うな」、「どうしてもだめなら家族が自腹を切ってでも、本人の財産は凍結されるに任せなさい(「成年後見」に引きずり込まれるよりマシ!)」というのは(諸々の欠点に加え)公的後見制度には決定的なマイナス点が2つあるからです。

  1. ランニングコストがかかりすぎること
  2. それなのに「サービス視点がゼロ」、高飛車すぎる制度であること

この2つです。

 

■1千万円ビジネスが「サービス」ではないのか

成年後見人は、1度付いたら本人(被成年後見人)が亡くなるまで離れません。
その間、年間24万円-76万円の報酬が発生します。
居宅を売却するなどの”特別な事務”を行った時にはさらに数十万円の特別報酬。
超高齢社会の今、後見人が付されて以降本人が10年以上生きるのは普通のことです。
結果、成年後見人が一人の「お客さま(被成年後見人)」から得る生涯報酬は数百万円―1千万円を超えます!!

 

生涯報酬が1千万円を超える仕事をいただけることが、「サービス」でなくて何でしょうか。
よほどの悪事を働かない限りクビにならない(解任されない)ことが保証されている仕事。
顧問税理士のように毎月細かい帳簿合わせをするわけでもなく、経理報酬を超える報酬を払わされて「文句ひとつ言わない(言えないのだが)お客さま」、そしてうるさいことを言いそうな家族は遠ざけて、1か月も2か月も、時にはまったく合わずに送金中心の金銭事務のみを行う。
そんなことが“もの言えぬ人の”後見人になっているということなのか⁈

 

■ワンポイント後見人で足りる!

家族は時に被後見人のお金をごまかすかもしれない。
(現実には昨今、それは非常に難しくなっていますが)
でも、職業後見人よりははるかに強く親のことを思っている。
元々、家族の自治を当てにして創設された法定後見制度が、いつから「士業を救済するための制度」になり下がってしまったのか⁈
変質? いや、転落という方が当たっているだろう。

 

本人のお金を本人のために使うために預金を払い出すことなど、銀行が自分の信用力と調査力を駆使すれば「ウソか本当か」容易に判定できるだろう。
どうしても家族の意図を測りかねるなら、ワンポイント後見人制度を創設して、有料で家族にヒヤリングを行ってもらい、使い込みなどできない方式で渡してあげればいい。
一生付きまとい「してやっている」みたいな恩着せがましい大仰な制度を作り、それでいて家族の何十分の一の身上保護も行わないような制度を作ってどうするのか。

 

■家族信託契約、「a」「b」までならOK

「成年後見」の話をすると際限がなくなってしまう。
本題に戻りましょう(長々と寄り道、申し訳ありません)。
「認知症だ」と診断されても、どこまで「契約OK」と考えますか?
答えを言えば、一番上のイラスト「a」「b」までなら大丈夫でしょう。

 

「cの後期」まで来るとかなり難しい。
当てずっぽうに「a」だの「b」だのと言っているのではありません。
私は先般、A4サイズ18ページの「家族信託解説のためのパンフレット」を作りました。
そのうちの2ページを使って以下のような「委託者さまの常況ヒヤリングシート >」を作っています。

※これは家庭裁判所に後見審判の申し立てをする際に医師に求める「診断書」を独自にアレンジしたものです。
委託者の常況確認シート1

[判断能力判定についての意見]
これは身近にいる家族に書いてもらいます。
「a」「b」は補助相当。
「b」「c」は保佐相当。
「d」になるとこれはもう後見相当、信託契約も無理です。
「c」相当をどう判断するかが一番悩ましいですね。

 

■目で物を追えなくなったらヤバイ!

そこで裏面。委託者の常況確認シート2

「発語」できなくても意思能力には関係ありません。
鼻からチューブや胃瘻(いろう)をしていようが事理弁識能力とは別物です。
排泄の失敗があろうがなかろうが問題なし。
しかし、「意思疎通」ができなければ契約書の理解は難しいです。
「見当識」が危ういのも危険な兆候。
「目でものを追っても認識できない」なら、これは相当に難しいかもしれない。

 

紙の表裏2枚でも相当な情報が得られます。
要するに体の機能はどんなに衰えても大丈夫。
自分がしたいこと、自分のために家族がやろうとしていることがしっかり理解しているなら、契約は問題なくできます。

 

■認知症にあらず、を父は自ら立証

こんなことがありました。
父のことです。
父は2年前の正月3日、脳梗塞で倒れました。
その半年ほど前から食べこぼしや、トイレに間に合わなくなることが多くなりました。
『さては認知症になったか?』と脳神経外科に連れていき、問診を経て父は認知症と診断されました。

 

脳梗塞で父が倒れて5日目、医師が鼻からチューブの経鼻栄養を施すか、私に尋ねました。
父は間もなく満90歳、『延命だよな……』と迷った私は父のベッドを見ました。
すると父の強く鋭い視線にぶつかりました。
『父は生きることを強く望んでいる!』 
すぐにわかりました。

 

退院してリハビリテーション病院でリハビリに励んでいた時、マイナンバーカードの申請書が届きました。
「お父さん、どうする?」と筆談で尋ねると、「ほ・し・い」。
市役所で父に代わって手続きしていると「本人の意思を確認をしたい」と職員が言います。
「車いすでも来れないんですよ」と言っても「確認したい」の一点張り。
やむなく「あなたが父の病室に来て確認しなさい」と私は言いました。
結局、職員は病室に来たのです。
「今日は何日?」「生年月日は?」、その後「マイナンバーカードを作りたいですか?」と職員が聞くと、はっきりと父は「はい」とばかりうなずいたのです。

 

1か月後、老人健康保険施設に転院した父はここでも健康診断を受けました。
病院付きの高齢の医師はカルテを見ながら、「お父さんは認知症ですかぁ?」と私に尋ねます。
同じことを感じていた私は「なんか、違うみたいですね」。
医師「お父さんは認知症じゃないですよ。理解できてるものね」。

 

つまり、「診断書」の字面ではなく、その時の状態。
それこそが契約できるかどうかの条件なんです。

 

振り返ってみれば、父が「認知症」と診断書に書かれた理由は、私の言葉でした。
父と私とを問診したのは脳神経外科の開業医です。
そこで私は自分の見立てを語り、医師はそれを逐一パソコンに打ち込んでいました。
私自身が医師に”刷り込み”をしてしまったようです。
その後、脳の画像診断(MRI)を行い「認知症」と診断しました。
脳の血流調査は行わなかったから、印象として「認知症」としたのでしょう。

 

■公正証書の成立がカギ

だから私は、「カルテに認知症」と書いてあるだけでは「家族信託の契約は無理ですね」、とは言いません。
あくまで本人に、これから作る契約書の目的と内容を理解していただけるかが重要です。

 

この点に関しては、平成19年7月19日に行われた「東京法曹界・第1回実務研修会」において類似の事例が語られています。
「任意後見契約」がテーマになりました。
任意後見契約は必ず公正証書で作らなければなりませんが、この契約についても被任意後見人の意思能力がビミョーで契約成立が危ぶまれる場合があって、「契約の有効性」が議論になりました。
こういう場合、「公証人による審査」がカギを握ります。
公証人は、①本人の判断能力と、②任意後見契約締結の意思、を確認するために本人と面接します。
(家族信託契約の場合は委託者と受託者に面談し、2人に向かって契約書の読み聞かせを行います。)

 

この日の研修会の結論は、「軽度の認知症・知的障がい・精神障がい等の状態である場合でも、契約締結時において意思能力を有する限り、任意後見契約を締結することが可能」、でした。

この場合、公証人が本人の意思能力等に疑念を抱いた場合、公正証書の作成を拒絶し法定後見制度の利用を促すことが多いようです(もちろん強制はしません)。

 

■新しい財産管理手法が道を拓く

家族信託は、家族の協力で本人の福祉と幸福を守っていく制度です。
公的後見制度のような立派な制度創設の理念があるわけではありません。
ただの「財産管理手法の一つ」にすぎません。
しかし超高齢社会、”認知症800万人時代゛がささやかれる中、脚光を集めています。

 

認知症高齢者の財産管理手法としては先ほど来、何度も紹介している成年後見制度があります。
この制度が一定の評価を得、社会的な役割を果たしているなら、家族信託など目もくれられなかったことでしょう。
でも実際は、家族信託への関心はうなぎ登り。
成年後見制度では足りないからです!

 

だから認知症の家族を抱え、あるいはその傾向が出てきた家族を前にし「成年後見制度に換わる何かいい解決策がないか」ということで、家族信託に光が当たりつつあるのです。
私はジャーナリストだから正直に申し上げます。
家族信託は万能のツールではありません。

 

家族信託の「受託者」が銀行に行って「父(委託者)の定期預金を解約して普通預金にし、介護費用に使えるようにしてもらいたい」と言っても、銀行は「うん」とは言わないでしょう。
それができるのは成年後見人だけです。
完全に事理弁識能力を欠いた本人を「代理」できるのは、法律で認めた後見人(公的後見人)だけ。
これは法律の決まり。
法律の決まりで、ある意味、本人が生来持っている自分の財産を自由に管理する権利を奪うわけですから、
私は、「成年被後見人と認定する場合は、本人の事理弁識能力が本当に喪失されているのか、厳密にみるべきだ」と主張しているのです。

では成年後見人はなんでもできるかと言えば、無論、限られた条件の中で限られたことができるにすぎません。

 

■家族信託は名義を換える財産管理手法

受託者は魔法の杖を持っていません。
魔法杖の代わりに「用意周到な家族の合意」を持っています
どういうことかというと、家族で信託契約を結ぶぼうということになったら、「受託者」をみんなで決めます。
もっとも信頼できる人を選びます。
そして委託者(例えば父親)は、受託者に一定の財産を委ねることに同意します。
契約書を公正証書で作り、何の目的で財産を受託者に委ねるのかを書きます。
受託者はその公正証書による家族信託契約書を持って銀行に行き、父親の通帳の名義を「委託者 父(の名)信託受託者○○(自分の名)」の新しい通帳を作り、以後その通帳で管理をしていくのです。
不動産の場合はもっとストレートに、信託による所有権移転の登記を行い、受託者が所有者であることを公示します。

 

つまり財産の「名義」が委託者から受託者に移るから、受託者は”自己の財産”としてさまざまな処分行為ができることになっているわけです。
契約書作成と名義変更は当然、委託者の判断能力がしっかりしているうちに行わなければなりません。
名義変更はもちろん「贈与」によっても行えますが、多大な贈与税を覚悟しなければなりません。
その点、家族信託はこれを無税で行えます。

 

その秘密は、「名義」(所有したこと)による実質的な価値を受託者は何も受け取らず、実質的な利益をすべて委託者に返すからです。
信託では財産の実質的な利益を得る人を「受託者」と呼びます。
委託者がそのまま財産の「受益者」になるこの信託は、家族信託で非常によく使われています。

 

■元気なうちにバトンタッチを!

<なんともめんどくさいことを!>
と、あなたは思ったのではないでしょうか。
本当に回りくどい!
しかし、認知症時代にはこの回りくどい手続きを経れば、昔のように家族の協力でお父さんの財産を守ることができます。
いったん財産を長男(受託者)に委ねてしまえば、お父さんがひどい認知症になっても、お父さんの意思能力とは関係なく、契約の時に父と長男とで交わした「信託の目的」に沿って、父の財産の管理を続けることができます。

 

お父さんの衰えを誰もが見ているのに何もしなければ、いずれ父の財産は誰も動かすことができなくなります。
どうしてもそのお金を今使わなければならなくなったときには、公的後見制度を頼み他人に父親の一切の財産を預け管理をしてもらうことでしか「そのお金」は使えなくなります。
一方、衰えを察知し家族が相談して家族内で名義の移し替え(つまり家族信託)をしておけば、一家の柱の財産は本人のためだけでなく、家族のみんなを幸せにするために、有用に使うことができます。

 

急いでください!
元気なうちに。
あるいは「a」か「b」の常況にいるうちに財産管理者のバトンタッチを敢行しましょう。

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