遺留分減殺請求はどういう気持ちでするのでしょう。
心は怒りで煮えたぎっているのではないでしょうか。
相続でそういうことが起きてしまう理由の大半は、コミュニケーション(対話)の不足です。
遺す人対もらう人、あるいはもらう人同士の対立、どちらも”人間だから”起きるわけですが、相手の心理を読む技術があればうまくいくのに、と残念でなりません。
先日、「オール相続 お悩み相談室」の質問にこんな回答をしました。
【質問の概略】
3人きょうだいの末っ子の夫の問題。
夫の両親は健在だが、相続で冷遇されるのではないか、と夫は気にしている。
それというのも、夫の兄や姉はこれまで進学や就職、一人暮らしを始める時など、両親から支援を受けてきたのに、自分は末っ子なので大事にしてもらえなかった。
だから相続が発生しても、自分の取り分は少ないのではないか──と夫は危惧している。
両親が私の夫に遺産を残さないといった遺言を書いた場合、「遺留分」を請求できるか?
夫はただ末っ子だっただけで、特に何か悪いことをしたわけでもなんでもない。
■なぜ「遺留分」から先に考えるのか?!
この質問に対して、私は以下のような回答をしました。
なぜ最初から「遺留分」なのでしょう。
なぜはじめから「もらえない」と思い込むのですか?
夫の両親のどちらが遺言を書くと言っているのでしょう?
財産はすべて夫の父親のものですか?
お父さんは本当に「末っ子の○○には財産を遺さない」といっている?
そこまで父子の仲は壊れているのでしょうか?
遺留分減殺請求は、遺言書で遺産分割の指示があり、他の相続人に比べ著しく相続分が少なく法定相続分が侵害されているときに、(やむを得ず)する行為です。
ご主人が単刀直入にお父さんに「末っ子だから差別しているのか」と聞いてみればよいと思います。
育った過程で自分は親にどのような感情を抱いたか、正直にぶつけて「同じ子なのだから差別をやめてほしい」と訴えればいいのです。
お父さんは案外、そういう感じをもっていないかもしれません。
息子に言われて、「ハッ」とすることもあると思いますよ。
また、他の兄姉にも自分の存念を話すべきです。
「相続」は触れてはならない魔窟ではありません。
白日の下でやればいいんです。
そうすれば結果は必ず変わりますよ。
遺言書がない場合、(もしあなたの夫が不当に扱われ納得がいかない、争って遺産分割協議書にはゼッタイ判を押さないというなら)争うべきは「遺留分」ではなく「法定相続分」です。
きちんと「平等にせよ」と争えばいいのです。
はじめから「自分の価値」を低く見るのはいただけません。
だから甘く見られるんです。
3きょうだいは同じ価値を持っています。
親なら、その辺のことは分かっているはずです。
もし分かっていないなら、リスペクトするに値しません。
存分に”戦っていい相手”ということになります。
(そうはならない、と私は信じているのですが)
■「相続」を話題にするのはタブー?
無料相談への回答としては、”異常に厳しい”ことを私は言っています。
相談者はなぜこんなにも卑屈なんだろう、と思ったからです。
どうも日本では「相続のこと」は触れてはいけないタブーのように思われるようで、あけすけに語られることがありません。
「親の死」を直接的にテーマにせざるを得ないからです。
それは思いやりでしょうか。もちろんそれはあるでしょう。
でも多くの人が避けるのは「お金のことを言うと下品に思われる」「親から嫌われて結局損をする」と思っているからではないでしょうか。
でもこういう態度やメンタリティー(心の持ち方)は、相続対策を業としている私としては、最も採用してはいけない策、「下策」だと言わざるを得ません。
親と子のコミニュケーションが少なければ少ないほどもめます。
「うちは仲がいいから」「財産もそれほどないし」と、何も策を打たない無責任な親(あえて「無責任だ」と申し上げます)がいる家庭ほどもめています。
「(相続後)弟と口も利かなくなった、一切の交流がなくなった」という事例は、相続税を払うこともない(だから「もめるわけがない」とたかをくくっていた)家庭に限って起きているのです。
■大事なのはコミュニケーション!!
「金持ちケンカせず」と言いますが、実際にその通りです。
ある程度の資産がある家は、曲がりなりにも”相続対策”をします。
完ぺきでなくても、少しでも対策をしたかしないかで、結果は大違いとなります。
「もしこうされたら」と心配なら、対策をしなければなりません。
「対策」は親の側もしなければならないし、子の側もしなければいけないんです。
すべきことはただひとつ、コミュニケーション、対話ですよ!
親子で話し合うし、兄弟姉妹でも話し合わなければいけません。
話すことで相手の心理を読む技術が磨かれ、適切な対策を打てるのです。
これが相続対策の第1の眼目であり、かつ最終的な目的であり、到達点です。
この入り口と出口を知らずに、親の側、子の側が個別にこそこそピント外れの対策しても、何も解決しません。
質問者の問題はどうなるでしょうか。
私の回答通りに、末っ子の夫が(お嫁さん共々)覚悟を決めてご両親に自分の危惧しているところを伝え助けを求めれば、高い確率で問題は解決するでしょう。
反対に、グチを言うだけで何もしなければ相談者が予期していた通りに(相続で)割を食い、兄姉と戦い(勇気があればですが)、一生気まずい関係になっていくでしょう。
■争族は私たちの発想転換でなくせる!
相続対策は、「相続」が起きてからでは後の祭りです。
こじれた関係は、生涯回復しません(断言してはいけませんね。「たぶん」と言っておきましょう。でも相当に大きな確率でそのようになります)。
あなたは「相続対策」を、ただの財産分配の問題、納税資金確保対策、節税のための対策、生前贈与対策と思っているかもしれません。
「だから(資産がない庶民の)私には関係がない」、と。
今、多くのお年寄りたちはそのように思っているようです。
こういう人には打つ手なし、その甘い認識のために相続人たちがどんなにもめようと、どうしてあげることもできません
しかし私を含めた新高齢者(私は66歳ですが、今60歳台か、これからシニアとなる層)は、根本的に発想を転換しませんか?
相続紛争(争族)はこれから、私たちの身の回りで起こります。
しかし私たちの行動1つで、家族の中で起こるかもしれない紛争は、完ぺきに防ぐことができます。
まず私たちは「わが家に限って」などという甘い、イージーな発想は捨てましょう。
「うちでも必ず起きる」んです、放っておけば!
■賢いシニアになる
だから私たちは放っておきません。
積極的に家族に介入します。
親にもきちんと対峙します。
私たちの親はかなりの高齢のはず。
だから思いやりをもって接します。
そして無理強いせず、ゆとりをもって少しずつ、親の「どうしたいか」を聴き出します。
私たちは抜け駆けしません。
親の言ったこと、気持ちを、兄弟姉妹で共有します。
基本的に親の想いに応え、その実現をめざします。
そして自分の希望があれば、理由を縷々(るる)話したうえで、親や他のきょうだいにも伝えます。
さて、私たちは人の親でもあります。
やがて私たち自身が被相続人(相続させる人)になります。
そのときには、子は公平に扱います。
しかし子の態度や子の置かれた状況もしっかり把握して、無理のない範囲で個々の子に対する扱いを決めます。
あくまで子の将来(孫の将来も含む)によかれと思って判断します。
公平を期しますが、一方では断固たる想いも持って決めます。
子の言いなりにはなりません。
意識して差をつけることはあっても、情(じょう)や子の手練手管には引っ掛かりません。
■”神の目”を持ち財産と向き合う
すべてこの通りにいくとは思いませんが、意識して親や(自分の)兄弟姉妹、さらにはわが子・わが孫と接して、みなが幸せになれるよう「神になったような気持ち」で親の財産、自分の財産と向き合います。
お金は魔物です。
ほんとうに大事なもので、そこに愛情や嫉妬などさまざまな感情がくっついてくると、とてつもなく大きな(悪い)影響力を私たちの人生に与えます。
振り回されて身を滅ぼさないように、こう考えましょう。
「親の金は親の金である」
私たちがもらって当然のものではありません。
一方、私が築いた財産は(親や先祖から引き継いだものも含め)、私の責任で私が築き、保守し、育て上げてきたもの。
それをどうするかは私の勝手です。
しかしこの世を去っていく自分が(自分のものだからといって)ほしいままにすれば、それはまことに”見苦しい”。
だから自分の財産処分は、神になったような気持ちで、ひたすら後に遺る者たちのために渡し方を考えます。
私たちの先輩世代の多くは、そのように利口な財産引き渡しを行ってきませんでした。
多くは放ったらかしで逝ってしまうのです。
戦後、急速に時代が豊かになりました。
多くの庶民(私たちのように”ふつうの人”の先輩世代たち)はそれなりに豊かになったのに、ふるまいは貧しい時代そのままでした。
■相続には心理を読む技術が必要
これからは格差のある社会になります。
そういう社会に生きるとき、親に力があるか、そこそこであっても財産があるか、その財産を使うことを許されるか否か、こういったことで次世代の人生は大きな影響を受けます。
清貧は通用しないのです。
豊かな人たちとそうでない人たちとに分かれているのが現実なんですから。
子や孫が豊かさを求めるのは当然です。
「庶民だから、財産がないから相続なんて関係ない」などと言っていると、子たちが迷惑します。
マイホームは財産ではないですか?
私たちは、マイホームのために節約し、我慢し、つましい暮らしをしてようやく手に入れたのではないですか?
でも、その財産あるがために、子たちはもめるかもしれません。
普通に考えれば「家を割る」ことはできないからです。
すると必ず”不公平な結果”になります。
もらえない子は、「家を売ってお金に換えて分けてほしい」と思うでしょう。
そういう気持ちを理解できる人にならなければいけません。
私たちは途中から豊かになりました。
子たちははじめから豊かな時代に育ち、平和で、自由な時代に生きています。
しかし彼らは「いじめ」という小権力者にもびくびくしています。
自由であるのに格差があり、強い者と弱い者とがいるからです。
強い側に回って、被害に遭わないようにと考えているのです。
だからこそ、親が自分に何をしてくれるかと気にします。
少しでも人生のアドバンテージを得られるようにと、真剣です。
では彼らは親に何を返してくれたのでしょう(親から見れば、そう言いたくなりますよね)。
その点わがままで、無礼なところもあります。
しかし彼らの気持ちを分かってあげないと、よい相続なんてできません。
私たちが懸命に築いてきた財産を、冷静に、クレバーに次代に引き継ぎましょう。
覚悟して、相当細心にやらなければうまくいきません。
親からの相続がまだなら親を見、自分の相続においては子の心理を余すところなく読み、そういう「人の心理を読むこと」までを含めて私は、
「相続は技術だ」といっているのです。
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<ジャーナリスト石川秀樹(相続指南処、行政書士)>
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