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★死ぬことや「相続」は初めての大仕事! 一緒に考えましょう

「伴走者

人はみな死ぬ。
だから「死」のことをみんな知っているように思っているが・・・・。
ひとりの人間にとって「自分の死」はいつだって初体験のはずだ。
自分の死に伴う「相続」もすべての人にとって”未知なるもの”に違いない。
こんな当たり前のことを、友達の投稿が気づかせてくれた。

 

■実年齢より若い、が自慢だったのに

友達が先日、Facebookにこんな記事を書いた。
私の最近の「顔」をたいそうほめてくれたのである。
以前は、お公家顔、”ええしのボン”のような甘ちゃんだったが、
それが苦労を重ねたのだろう、顔に風格が出てきた、と。
さて、それが風雪に耐えてきた結果かどうか・・・・、以下雑談。

 

先週、市内の老人福祉センターで「終活」について講師をしていた。
冒頭、僕は自信満々で「いくつに見えますか?」と尋ねた。
前列にいた人が「70歳・・・・?」とつぶやく。
がく然とした。

 

若いつもりでいたのに・・・・
実際、気持ちは40代のころと少しも変わっていない。
なのに・・・・、だ。
実年齢より年かさに言われた。
初めてことで、軽いショックを受け、少しうろたえた。

 

これが友がほめてくれた”風格”の実態である。

 

■『おかしい』を見つける極楽トンボ

彼は以前、私が出版社を開業したときに祝いのパーティーで
「秀樹は無防備に手を下げたまま、フラリとリングの中央に出ていくようなところがある」
と言った。

 

これも意外な”言葉”に聞こえた。
自分では、用意周到な人間だと思っていたから。
しかしいつだって、彼の言うことは正しい。
出版社を起こしたのも、相続対策家になったのも、『勢い』のようなものだった。

 

思い立つと、もう一歩を踏み出している。
この性格は、いいこともあるし、悪いこともある。
それでも(人から見てどうであれ、自分としては)致命傷にはなっていないので、相変わらず天下御免でいる。
傍らから見れば、”極楽トンボ”には違いない。

 

しかしこのトンボは、変なことに気づいてしまうトンボである。
当たり前に通っていることが、「当たり前」には見えないのだ。
欠点、難点、不合理を見つけたいと思ってそうしているわけではない。
『なにかおかしいよな』
という、直観であり、一種のクセだ。

 

■「成年後見」は有用という刷り込み

友がほめてくれた日、私がしゃべっていたのは「成年後見制度について」だった。
世間の大半はこの制度に興味がないし、内容も知らない。
しかし金融機関の窓口や介護現場では今、大きな問題だと気づき始めている。
認知症となり事理弁識能力を失う。
すると銀行は、定期預金のような“大きなお金”を凍結してしまう。
──本人は困るが、周りだって困ってしまう。

 

「そんなときの救世主が成年後見人でしょ⁈」

 

これは見事な刷り込みだ。
一体どうやってそういう認識を植え付けたのだろう。
先日、居宅介護事業所を何十軒も回ってケアマネさんたちに会うと、ほぼ全員がこんな風に答えてくれた。
「それ、違いますよ!」
制度の中身を踏み込んで説明すると、皆「そうなんですか! 思ってたのと全然違う」と驚いていた。

 

まったく、こっちが驚いてしまった。
成年後見は使い勝手が悪く、利用者に思いがけない重い負担を課す。
決して気楽に利用できる制度ではないのに、みな”切り札”のように考えている。
ケアマネに「認知症対策は?」と尋ねる方はもっと知らないから、『わが家でも、いよいよ困ったら使おう』と思ってしまう。

 

「気軽に使っていい制度ではないですよ」とこの日、友に力説した。
普通の家庭で以下のような理由でこの制度を使うと、ひどい目に遭う。

  • 本人の通帳から介護費用を払いたい
  • 本人に保険金が下りるので受け取ってあげたい
  • 施設に入るために介護保険契約を結びたい

 

こんな単発の必要のために「成年後見制度」を使わせるのは不正義である、と私は思っている。
確かに銀行は預金者が認知症になったら困るだろう。
家族が代理で来ても本人の意思がわからないのだから、やすやすと下ろしてもらうわけにはいかない。
だから「成年後見人を」というのだが・・・・。
お客様側の負担も考えずに制度に丸投げしてしまうのが金融機関の正しい選択か⁉

 

成年後見人が「手軽なピンチヒッター」なら文句は言わない。
ありがたく制度の恩恵を受ければいい。
だが成年後見人は”便利な代理人”どころではない。

 

■制度にからめとられる⁉

申し込みは家庭裁判所に成年後見の審判を申し立てることから始まる。
(何しろ成年被後見人になるというのは”制限行為能力者”にされる、ということなのだ)
申立書に「後見人候補」として家族の名を書くことはできる。
しかし家族が成年後見人に選任される確率は30%以下だ。
大半は士業の職業後見人が選任されることになる。

 

「他人は嫌だ、申し立てをやめる」と言っても通らない。
職業後見人が付くと年間数十万円の報酬が発生する。
費用が掛かりすぎるからやめたいといっても、許可されない。
成年後見は本人を守るためにあり、本人が亡くなるまでは終わらない──。

 

それでも成年後見人がオールマイティの仕事をしてくれるなら、まだしもありがたいかもしれない。
しかし後見人ができることは限られている。
本人の財産は家庭裁判所がにらみを利かせ、ガッチリ守ってくれる・・・・。
だがそれは事実上、個人の財産が国家管理され”凍結されてしまう”ということに等しい。
家族が「これこれの理由で(本人のために)使いたい」と言っても、ほぼ許可が出ない。

 

本題から外れるのでこれ以上書かないが、「本人を守る」という制度の主旨を理解している家族は少なく、本人の財産を訳あって使いたいために(介護費用に充てる、などというまっとうな理由が多い)この制度にからめとられてしまう人が後を絶たない、ということだけは言っておきたい。

 

■人の終末に伴う”困った話”

困ったことに、「成年後見人」の話は人の終末に伴う”困った話のほんの一例だ。
私がいつもこのブログに書くテーマは、いくつかある。

 

▼老化に伴う「延命」の話。
(今は「延命拒否」が良いことのように思われている)

▼公正証書遺言が幅を利かせ、自筆遺言がかすんでいる話。
(公正証書も自筆も遺言としての価値は同じ。緊急で書くなら「自筆」の価値は高い)

▼遺言についてはこうも話す。
「今すぐ書いてください。万が一はいつでも起こり得るのだから」
(講演でもいつもそう呼びかけるが、即行動に移す人はまずいない)

▼法定相続分というおかしな”権利意識”について。
(権利だって⁈ 母の老後の安全を脅かして得る”権利”とは何なんですか⁈)

▼そして「遺留分」という理不尽な権利について。
(普通の家で、子が遺産の半分を持っていって配偶者の老後は立ち行くのだろうか。それを考慮して遺言までしたためたのに、「法定相続分の半分までは私の権利」と譲らない減殺請求。その親不孝者に味方する今の司法は根本的に、完全に、常軌を逸している!

▼「家族信託」について。
(これぞ、真の認知症対策。家族の自治で親の生活を守り、家族のためにも活かして使える財産管理の新手法。普及はいまだし、なので、ほとんど伝道師のように熱く語り続けている)

 

■「死ぬこと」は誰にとっても初体験

とまあ、こういった考え方なので「世間の当たり前」とは立っている位置がすこぶる違う。
私がピンボケなのか、大多数の人が欲に目がくらんで? 肝心かなめがみえないのか。
物知り顔をして威張りたいわけではない。
すべて自分が体験して考えたことをお伝えしている。
『こうであればよかったのに』
つまづいてしまったからこそ考え、調べ、事実を再確認して、『こうすればよかったのか』と得心したことを文章にしてきた。

 

先日、セミナーの後、お話しをしたご老人がいる。
昨年の3月に伴侶を亡くされた。
以後、「何もしていない」のだとおっしゃる。
遺産分割協議もしていないから相続税の申告期限もとうに過ぎてしまった。
「こんなこと初めてなので、何もわからない」

 

途方に暮れたようなその言葉に、ハッとした。
死は誰にでも訪れるので、みんな知ったような気分になっている。
でも考えてみれば、生きてるうちに「死」を体験した人は1人もいない。
1回1回、自分の死は誰にとっても”新しいこと”、”初めて経験すること”なのだ。
だから、何も知らなくても当たり前・・・・。

 

しかし一方、この歳になれば誰も、いくつか「死」は見てきている。
人の死亡に伴う諸々の事件を、見たり聞いたりしている。
その”情報”はあいまいで、事実と違っていることが多いのだけれど、人はうのみにして、教訓のように思ってしまう。
そのご老人も、見当外れの相続対策まがいのことはいくつかされていた。

 

■よく伝え、一緒に走りたい

やはり「死」のことはあまり分かっていない。
他人事のように書いているが、私だって「死」のことは知らない。
亡くなった後に起きることを、少しは想像できるというだけである。
分からないことは、自分がその人になったつもりで考えるしかない。

 

85歳になって妻に先立たれて、ひとり。
想像を絶する。
想像もできないが、この数年ずっと私は『妻より長生きしてしまうだろう。どうしたものか』と思い続けてきた。
だからこの人の寂しさを、少しだけ受け止めることができる。

 

歳を取ったから、高齢になったから死が身近になる、なんてことはない。
大半の人にとって、死はいつでも他人事だし、おおむねそれで生きていける。
だから私がしたり顔で「遺言を書きましょう」などと言ったところで、たいてい聞き置いて終わるわけだ。
それは、不思議なことでも何でもない。

 

しかし一方、不測なことはしょっちゅう起きており、その度に人はほぞを噛む思いをする。
だからこちらとしては、お節介なことを先回りして言い続けるしかない。
それはしんどいし、「覚悟」もいる。
人の終末に近いところで仕事をしており、ふつう、人は終末を直視しようとはしないのだから、何を説いても無駄に終わる。
それでも言い続けるとすれば、「伝道師」みたいな心持ちだ。

 

(成果が出ないから)やめたい、と引き返すわけにいかない。
自分の死」という人生最後の大仕事をやり遂げるためには(自分の死に伴って「相続」という心悩ます騒動が控えている)、計画も準備も覚悟も必要だと思う。
しかし、ひとりでやり遂げるのはしんどいですよ。
支えてくれる伴走者が絶対に必要だと思う。

 

自分で言うのはおこがましいけれど、人生をしまうという「」や、それに伴う「相続」にかかわる以上、心して私は、よき伴走者でありたいと思う。
友が「風格」と言ってくれた中には、ちょっぴりそんな覚悟を見てくれたのだろうか。

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石川 秀樹

遺言、相続対策と家族信託の専門家です。特に最近は家族や事業を守るための民事信託への関心を強めています。遺言書や成年後見といった「民法」の法律体系の下では解決できない事案を、信託を使えば答えを導き出すことができるからです。
40年間、ジャーナリストでした。去る人、承継する人の想いがよりよくかみ合うようにお手伝いしていきます。

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石川秀樹

1950年生。ジャーナリストです。相続対策家(行政書士)。小さな出版社の社長でもあります。何を書いてもユニーク。考え方がまともなだけなんですが。このブログは遺言相続、家族信託、それと老後のあれこれについてが中心。

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